いつも行く宝塚の映画館で表記の映画があり、久し振りのヴィム・ヴェンダースの映画で、ベルリンかどこかで何かの賞を取ったとかで期待していたので見に行った。
公衆トイレの掃除人の話だというので、社会的な問題を扱った作品ではないかと予想していたが、トイレの掃除人としての惨めさや、社会への反発、エッセンシャルワーカーとしての直接の問題提起などは全くなく、毎日毎日の生活や清掃業務が淡々と進んでいくだけで、言葉も少なく、清掃作業やその作業人の1日の静かな生活が丁寧に描かれている。
ただ、公衆トイレといっても、大勢の利用で汚れた室内や、黄ばんだ便器などは全く出てこない。いずれのトイレも斬新な瀟洒とも言える最新のデザインのトイレだし、便器なども掃除する前から皆ピカピカに光っている様な所を尚も丹念に磨きあげているといった感じである。
そんな期待はずれ?の訳を知ろうと、映画の評を見ると、ユニクロの柳井社長の息子が金を出して渋谷区に働きかけ、一流の建築家たちに設計してもらって作られた新規な公衆トイレだそうで、それに絡んで、ヴィム・ヴェンダースに映画制作を依頼して出来た日独共同制作の作品らしい。作業着にはその会社のTokyo Toiletsというロゴが書かれていた。
その結果の映画だから、当然こうなるのであろうが、客観的に公正に見れば、公衆トイレは公共のものであり、それを掃除するのは社会のエッセンシャルな仕事であり、社会もそれを正当に評価すべきものであるという本来の価値観を示しているものであろう。
映画では、そういう仕事をする役所広司の毎日同じようで、少しずつ違う新しい日を、朝の起床時から夜まで淡々と描いているのである。丹念にトイレの清掃をし、昼は近くの神社の森で昼食を食べ、木漏れ日に目を細め、古いカメラでそれを撮影したりし、仕事を終えると決まった銭湯に行って寛ぎ、同じ飲み屋でビールを飲んで帰るのだが、家では森で見つけた小さな木の苗を育てたり、暇があれば本を読んだりという生活が淡々と続くのである。
そういうあまり変わらぬ日々の生活が、白黒の木漏れ日の写真を何度も間に挟みながら進むが、役所広司の大写しの顔が流れたりして、セリフが極端に少なく、映像だけで語らせている様な感じがこの映画の特徴とでも言えるのかも知れない。ただ背後に流れる音楽もよく、静謐とでも言える美しい映像が静かに進んでいくのは、小津安二郎の映画を思い出させる。ヴェンダース監督は小津を評価しているためか、主人公の名前も平山で東京物語に出てくる笠智衆と同じになっている。
毀誉褒貶を示す様な事件は何も起こらず、断片的な平山の出自や、若者、姪、飲み屋の女将のがんの元亭主との出会いなどが、少しづつ挿入されて描写されているが、それが暗示的に平山の生活の背景を物語っている。姪が海へ行こうというのに答えて「いつかはいつか、今は今」と言ったり、がんの男と影を踏み合って「重なっても影は濃くならない」といったりする僅かなセリフが返って生きていた。
ラストシーンの朝焼けの景色も将来を暗示していて良いし、もっといろいろ言えるであろうが、さすがヴィム・ヴェンダースだなと感心させられる上級な映画だったと言える。