諸行無常

 

 昨日いつもの様に散歩しようと思って門扉を出ると、通りの北の方から白い煙が上がっているのが見えた。何だろうと思ってみるとすぐ近くの四辻の向こうに赤い消防車が止まっているではないか。煙も一転茶色を帯び高く上がった。

 すぐ火事だと分かった。家の中では聞こえなかったが、いつの間にか、消防車が来てホースも伸びている。車の近くには野次馬も何人か立ってっいる。家の近くの人が小さなカメラを持ってわざわざ見に行く。既に見てきた人がすっかり焼けているとか言いながら帰っていくのもみられた。

 これでは散歩どころではない。諦めて家に戻り、2階の窓から観察することにした。風は北から北西の方向から吹き、煙は大きくなったり小さくなったり、方向も時々少しずつ変え、いつまでも続くが、次第に白い煙ばかりとなり、落ち着いてきている様であった。

 火元は何処だろうと推測してみる。我が家の前の通りの北の方か、もう一筋西の様である。火勢は次第に落ち着きながらも続いているが、消防車による消化活動も進んでいるし、これならこのまま消し止められるだろうと予測がついたので、見るのをやめて書斎に戻った。

 それでも気になるので時々窓から覗いてみると、やがて煙は見えなくなり。消防手も車の近くに引き上げてきた様で、ホースも見えなくなっていた。近くに止まっていた白い車体の車もいなくなっていた。更に次に見た時には、先ほどの消防車の姿も既になく、他の消防車が北の方から進んで来て、消防手が道路閉鎖のテープを外して車を通すところであった。

 これでもう安心と眺めるのも止めたが、火の元が何処だったのかが気になる。一筋向こうではなかろうかと思ったが、食事に来ていた娘が帰途確かめてメールしてくれたのでは、我が家の前の通りの北側の古い家とわかった。

 そこならこの筋でただ一軒だけ残っている昭和時代からの古い建物の家である。翁が一人で住んでいる家である。果たしてあの老人は無事だったなだろうか。寝るまでそれが気になって仕方がなかった。

 一夜が明けて昼過ぎ、現場を確かめて見ようとしたが、現場検証のためか多くの人が道路を塞いでいるようなので、先に駅前で用を済ませて、帰途回り道をして現場へ行ってみた。一台車が止まっていたが、係の人は皆、車の中で昼食をとっているところのようだった。

 焼け跡は見るも無惨であった。一番目立つ道路側まで張り出した昭和レトロの赤屋根の洋室は、屋根まですっかり焼けて、天井から空がのぞいていた。昭和風の小さなガラスを貼り合わせた窓ガラスが特徴的な窓であったが、一枚破れたガラスの替えがなかったのか、そこだけ紙かビニールを貼り付けていたのが印象的な建物であったが、それもすっかりなくなっていた。

 古くなってあちこち破れていた板塀や、いつも半分閉められたままになっていた二階の窓も燃えてしまっていた。屋根付きの門戸は残っていたが。中の玄関から奥の建物は全て焼けてしまった様で 建物の形骸は残っていたが、全て燃えてしまい、所々に破れた天井から空が見えていた。

 一人住まいのあのお年寄りがどうしたのか気になったが、偶然出会った近くの人の話では、老人は外出中で無事だったとか。それを聞いて思わず良かったなと思った。それなら古い建物なので原因は漏電でも起こったのであろうか。

 いずれにしても、近くでただ一軒残っていた昭和レトロの建物が消えてしまったのは残念でならない。そう思って振り返ると、道路を挟んで斜め迎えの家に「売却物件」との札がかけられているではないか。そこは元高麗橋三越で写真館をやっていた故小川拙舟?さんの家出会った。最近は誰が住んでおられたのか知らないが、いつも通る度に昔の写真館を思い出していたものだが、それもなくなってしまうと思うとなんだか寂しい。

 ここらは明治時代に阪急の小林一三が日本で初めての郊外の分譲住宅として売り出したところで、父がこの地に移り住んだ1960年頃にはまだ百〜二百坪ぐらいの敷地に木造の家並みが並び、庭木も多い落ち着いた雰囲気の住宅地であったが、その後の高度成長の時代とともに、古い木造の家は次々姿を消し、土地は2分割、3分割されて、そこに新建材の白い家ばかりが建ち並ぶ様になり、すっかり様変わりしてしまった。

 我が家の通りだけ見ても、一番南にあった豪邸は長らく庭だけが残っていたが、今は5軒の新しい家が立っているし、我が家の迎えの家もしっかりした大きな建物であったが、今は4軒に分割されて、全て今風の白っぽい家になっている。

 この通りで最後に一軒だけ残っている昔ながらの純和風の家も、老婆の一人暮らしで、昨年、立派な門構えを覆っていた大きな松が一夜で枯れ、最近は雨戸も締切で、老婆の生存もわからない。それに今度の昭和レトロの消失である。

 何処もかしこも知らないうちに、いつしか静かにどんどん変わっていく。女房が「諸行無常」だと言ったがまさにその通りである。

 やがて小出さんの家もなくなってしまったということになるのであろう。