昭和の時代

 どういう人が調べたのか知らないが、フェイスブックだったと思うが、たまたま上のようなのを見つけた。今では考えられないが、昭和の時代には当たり前だったようなことが、ランキングまでつけて載っていた。昭和の時代と言っても、戦前と戦後では随分違うが、ここに掲げられているのは戦後のことのようである。

 ランキング1位に挙げられたタバコについては、電車の中に限らず、何処ででも普通に見られたもので、、喫煙は今よりはるかに社会全体に行き渡って見られた当たり前の光景であった。そういえば、4位の飛行機でも、トイレに吸い殻入れが備え付けられていた。5位、7位などもその通りで、世の中全体がタバコを吸うのが当たり前で、タバコを吸わない人達が片隅に追いやられているような格好でさえあった。

 戦争中にはタバコも配給制であったし、「恩賜のたばこ」というものまであった。キセル煙草もあったし、パイプ煙草や葉巻もあった。タバコの販売日にはタバコ屋の前に行列が出来たこともあった。家から出かけてタバコの火を消し忘れたかどうか心配になって、家に引き返したことのある人も多かったし、実際にタバコによる火事も時々あった。

 歩きながらタバコを吸い、吸い殻を道路に捨てていく人も多く、駅舎の出入り口あたりには吸い殻が散らばって落ちているのが普通であった。ある工場のある街では、駅からの従業員の通勤路のあちこちに、吸い殻入れの空き缶を電信柱などにくくりつけているような例もあった。タバコにまつわる話は数え切れない。タバコは今よりはるかに日常生活に結びついていた。

 2位の1ドル360円の固定相場は1972年の為替の自由化まで続いたので、戦後日本に来たアメリカ人は、貧しい日本人を見下して、贅沢三昧の生活を送れたが、逆に日本から渡米した人たちは貧しい生活を強いられることになっていた。為替レートだけでなく、現金も一人300ドルしか持ちで出せなかったので尚更であった。 

 3位は電車というより汽車や列車である。まだ新幹線のない頃の東海道線の列車などでは、社内の便器から下を覗くと線路が見えていたものであった。当然垂れ流しだったので田舎を走っている分には良いが、東京近くになると、多くの人がそろそろ降りる準備とばかりに一斉に利用するので、多量の排泄物が一斉に放出されることになり、途中の踏切待ちする人達から苦情が出たようなことも起こった。

 6位の痰については特に大阪などの大都市では、大気汚染もあり、殊に冬には上気道感染が流行り、結核も多かったこともあってか、今より痰を吐く人が多かったようである。そのためにあちこちで痰壺なるものが見られたが、道端で痰を吐く人も多かった。今でも思い出すのは、中之島の現在の高層ビル街が未だ倉庫群であった頃は、倉庫側の歩道の片隅には途切れることなく、通行人の吐いた痰がずらりと並んでいたものであった。

 このランキングには入っていないが、痰と同様今では見られない街の景色としては、どこへ行っても立ち小便が見られたことであった。田舎の道端で女性が立ち小便をするのを見たのは私の世代迄ぐらいであろうが、昭和の時代には、まだコンビニもないし、公衆トイレも少なかったので、立ち小便もやむを得ないことが多かったのである。

 飲屋街の近くなどでは、客の立ち小便が多いことが問題となり、それを防ぐために、やたらとあちこちに小さな鳥居が置かれたり、書かれたりしていたものであった。もう今ではそういった鳥居を目にすることも先ずなくなってしまった。

 また、映画館でのタバコはすでに触れたが、昭和の頃の映画館は今と違い、殆どが「入れ替えなし」の営業だったので、いつでも入場出来て、途中から見て、休憩時間を経てから、前の部分を見るようなことが出来たし、何回も繰り返し同じ映画を見ることも出来た。満員の映画館でも、はじめ立ち見で見て、休憩時間に席を取り、続いて見るようなことをしたこともあった。

 なお、このランキングには入っていないもので、昭和に栄えて今はなくなったものとしては、市電が走っていたことも忘れられない。その他、8、9、10位のような事を含め、まだまだ沢山あるが、ここではこのぐらいにしておこう。世の中はあまり気が付かないうちに、いつしか、どんどん変わってしまうものである。この後どのようにになっていくことであろうか。