三つ子の魂百までも

 「三つ子の魂百までも」と昔から言われている様に、子供の時に身についたものは歳をとり、時代が変わっても、なかなか抜け切れず、いつまでも尾を引くものの様である。私のように、物のない貧しい戦中、戦後の生活を過ごした者は、いまだにその頃の習慣から完全には抜けきれないでいる様である。

 物の不足した時代には、どんな物でも大切に扱い、用が済んだからと言ってすぐに捨てるのではなく、直せるものは直して使い、とって置けるものはできるだけ大事に保存し、再利用を図ったものである。シャツやズボンが擦り切れて破れても、つぎ当てをして、なお利用するのが普通であった。

 贈り物や買い物の包装紙などは、破れない様に慎重に開いて、伸ばし、大切に保存しておき、何かの機会に再利用したものであった。裏が白い大きな紙などは、絵を描いたり、小さく切って、メモ用紙に用いたりした。トイレットペーパーさえ新聞紙や柔らかい紙を切って利用した時代であった。

 荷物を縛っていた紐なども、出来るだけ切らない様に巻き取り保存しておいた。輪ゴムや袋の類も同様に再利用するのが普通であった。鉛筆や消しゴム、定規といった学用品も大切に使われ、擦り切れるまで利用し、兄から弟へと受け継がれることさえあった。

 従って当時はティッシュペーパーやキチンペーパーなどと言った一度の使用で捨ててしまうディスポーサブルといった考え事態がなく、布の布巾や雑巾は、汚れたら洗ってまた何回も繰り返し使うのが当然のことであった。

 戦後1960年過ぎにアメリカへ行った時に、はじめてティッシュペーパーやキチンペーパーにお目にかかった時には何て勿体ない使い方をするのかと驚かされたものであったが、同時に医療用に広くディスポーサブルのプラスティック用品が用いられているのを見て、金持ちの国は違うものだ、贅沢ではあるが、その先進性に目を見張ったものであった。

 そんな物のない貧しい時代を若い時に経験しているので、物が豊かになって使い捨ての時代になっても、勿体無いと思う気分が抜け切らず、不要になった物も、つい捨て切れず、何かの時に役に立つかも知れないと思えるものは身近にとっておくことになりやすい。

 それでも80歳代の後半の頃だっただろうか、夫婦共に歳をとり、あとの家族が外国に住み、帰国することも考えられないので、簡素な生活にして、相続の手続きなどを簡単にしておいてやらねばと思い、家も売ってマンションに移ろうと考え、物の整理をした時期があった。その時には美術骨董品などから、カメラや関連品、切手など蒐集品、不要なガラクタなど、我ながらよく思い切ったものだと思うほど、随分売り払った時があったのだが、娘たちの反対でその計画が破棄されてからはまた元に戻った様である。

 サービスや広告で配られたティッシュペーパーやボールペンなども捨てられないでついとっておくが、それ程多く使うものでもないので、いつしか溜まって場所を塞ぎ、ボールペンもインクが乾いて使えなくなってしまっている様なことにもなっている。

 ビニールの袋やファイル、メモ帳、手提げ袋などといったものもとっておくと、置き場さえなくなってしまう。適当に処分すれば良いようなものだが、なかなか捨てられずに溜まっていくばかりとなる。

 用済みの大型カレンダーや、新聞に挟まれてくる広告の中にある裏の白紙があれば、つい保存してしまい、落書きをしたり、切り取ってメモ用紙にすることになる。食品のプラスチックのカップや小さな容器は組み合わされてリサイクルアートに化けたりもする。そんな作品が溜まって、あちこちの壁の装飾品?になったりもしている。

 ティッシュペーパーやキチンペーパーも一度拭いただけでは捨て難い。女房に叱られるが、SDGsだからではなく、昔の記憶からまだ使えそうなものを一度で捨てしまうのは何だか勿体ない気がして捨て難いのである。

 包装紙や包装の段ボール箱なども、どうしても取っておきたくなる。何となくまた使えるのにと思うと捨て難い。裏返したら新品として使えるような段ボールの箱もある。紙や金属、プラスチック等の箱類も同様である。何でも屋根裏部屋に放り込んでいるが、果たして日の目を見ることがあるのかどうか甚だ疑問である。

 私が死んだら確実に処分されるだろうことも分かっているし、「断捨離」の必要性についても知ってはいるが、やっぱり貧乏性は治らない。一度身の回りに来た小物には愛着が出来、やはり捨て難い。死ぬまでこのままで行くのではなかろうか。