もったいない

 私の子供の頃の日本は、大日本帝国といって日清、日露の両戦争に勝ち、万世一系天皇の治める国で、東洋の盟主だといばり、満蒙開拓だの、東洋平和のためだなどと言って中国への侵略を行なっていたが、まだ今では考えられないぐらい貧しい野蛮な国であった。

 農村では不況時には娘を売り、男も女も海外へ出稼ぎに行って、それらの仕送りでどうにか国家財政のバランスをとっていた様な有様であった。こんな狭い国で、当時の7千万もの人口を養えるはずがないだろうと言われ、貧しい人たちの南米や満蒙への移民が進められていた。

 そんな時代だったので、日頃の生活でも日用品なども、とことん大切に使ったものであった。質実剛健、ものを大切にが当時のスローガンであった。今の様にディスポーサブルという考え方がなかったので、何でも使えるうちはとことん使い、破損し修理して使いまくった末に、もどうにも使えなくなって初めて捨てるというのが普通であった。

 稲作で出来る藁などは、元々、衣食住に関するあらゆる面で、徹底的に利用され、使われて来たのが伝統であり、どんなものでも、その特性に合わせて、使えるものは使えなくなるまで徹底的に利用するのが当然と考えられていた。

 従って、例えば、新聞紙なども今と違って、単にニュースを読むだけのものではなく、古新聞の用途も広く、とことん利用されたものであった。八百屋さんでも魚屋さんでも、全て包装は古新聞だったし、個人商店などでも、殆どと言っても良いぐらい、何でも包装するには先ず新聞紙が当てられていた。

 大掃除の時には、畳の下に必ず古新聞紙を敷いたものであった。割れ物の緩衝材もくしゃくしゃにした新聞紙であった。鼻紙にも利用されたし、トイレットペーパーも小さく切った古新聞紙が使われることが多かった。天皇や皇后の写真の載った新聞で尻を拭いては不敬に当たるというので、そういう新聞の写真は切り抜いて、学校で集めて燃やした様なことも行われた。その他、新聞紙で兜や飛行機を作って遊んだり、新聞の折り紙で小箱や痰壺なども作られた。

 戦中、戦後の窮乏時などには、新聞紙をくしゃくしゃにしたのを伸ばし、それをシャツの間に挟めば暖かいと言って利用する人も見られた。勿論、火を起こす時の種火としても最適であったし、新聞紙を溶かした粘土で塑像を作る様なこともあった。他にも色々あるだろうが、古新聞は今の様に読んですぐにまとめて廃棄物として出されるどころか、フルに利用されていたものであった。

 新聞がそうであれば、他のどのような日用品も、使ったらすぐ捨てる様なことは考えられなかった。家具や食器などの類は割れてもつないで使われたし、どうかすると何代にも亘って使われた。米作で出来る藁など、それこそ新聞紙に負けず劣らず、衣食住に渡ってフルに利用されていたものである。

 そんな中で私は育ったので、今の様な万事がディスポーサブルの時代になっても、トイレットペーパー以外は、何でもそのまま捨ててしまうのには、今だに罪悪感のようなものが残っているのである。つい「もったいない、まだ使えるのに」と思ってしまう。

 昔アメリカへ行った時、キチンペーパーを惜しげもなく、どんどん使っては捨てるのを見てびっくりさせられた印象が強く今でも忘れられないが、食品の容器などは仕方がないが、包装紙や箱、段ボールや袋の類、紐類、輪ゴム、キチンペーパーやティッシュペーパーなど、まだ使えるものは捨てるに忍びなく、別段使うあてがなくても、取っておくことになりやすく、ゴミの山だと文句を言われることになっている。

 しかしSDGsでなくとも、今の資本主義社会が随分無駄な資源の浪費をしていることは確かである。何とかならないものであろうか。