背広のチョッキ

 昔は三つ揃えなどと言ってサラリーマンや紳士のフォーマルな服装は、背広の上下に中に背広と同じ仕立ての五つボタンのチョッキを着るのが普通であった。明治から戦前までの背広姿の写真などを見ると大抵三つ揃えの背広を着ており、上着を脱いでのチョッキ姿も多い。

 ところが、我々の年代が背広を着る頃になると、もう通常は背広の上下だけで、中に一緒に仕立てたチョッキを着る習慣は廃れていた。従って、私が作った背広の多くは上下のみで、チョッキは、礼服を別とすれば、冬用の背広として作ったものでも殆ど揃いのチョッキはなく、背広の上下だけだった気がする。

 勿論、寒い時などに背広の下にチョッキを切着るることはよくあったが、そういう時のチョッキは毛糸や毛織り物のチョッキで、背広と一緒に仕立てたチョッキなどは殆ど着た記憶がない。

 ところが最近ひょっこり昔親父が来ていたのであろう背広のチョッキが見つかり、着てみるとそれが便利なので、今や出かける毎に重宝することになってしまった。

 歳をとって仕事を辞め、決まって行かねばならない用事もなくなり、家にいることが多くなると、冬には家ではセーターを着ているのが一番楽である。ただ、セーターで困るのは物入れがないことである。家の中では良いが、ちょっと買い物や散歩に出かけるにしても、鍵や財布だけにしても、必要な小物を携帯しなければならない。それにこの頃はマスクも忘れないようにしたほうが良い。ズボンのポケットになんでも可でも突っ込むのも考えものである。

 そこで従来は外出する時には小さな鞄に必要なものを入れて持ち運ぶ様にしていたが、出かける毎に、必要なものを揃え、チェックしなければならない。その時々で必要なものも多少変わるので、財布やメガネ、小銭入れ、鍵、マスク、電車のカード類など必要な小物が結構あるものである。それに最近は歩行補助具のトライウオーカーなどを使っているので、肩にかけた鞄がずれたりするのも煩わしい。

 そこに背広のチョッキが出てきたので、それを試してみることにした。これまで三つ揃の背広のチョッキなど詳しく見たことがなかったが、調べてみるとなかなかうまく作られているのである。ポケットが四つと内ポケットまであり。内ポケットは思いの外大きく、一万円札をそのまま入れられる財布がすっぽり入る様になっているし、胸ポケットには定期券入れがすっぽり収まる。腰のポケットには鍵や小銭入れも収まる。余った胸ポケットにマスクも入る。必要な小物がうまく収まるではないか。

 そうと分かれば、日頃から必要な物を決まったポケットに入れておけば、出かける時に、いちいち忘れ物がないかチェックしなくとも、チョッキさえ着れば全てが揃うことになる。 鞄の様に中身をいちいちチェックする必要もない。いつもはタンスに入れておき、出かける時にセーターの上からチョッキ羽織裏さえすれば、忘れ物の心配もなくさっと出かけられることになる。

 それに気づいてからは、出かける時にはもっぱらこの背広のチョッキを愛用している次第である。