九十翁のコロナの一年

 コロナが流行り出してもう丸一年が過ぎてしまった。一昨日だったか、箕面の滝へ行った帰り道、石橋の駅のホームで電車を待っている時、ふと周りを見ると、皆が一人残らずマスクをして、殆どの人が下を向いてパソコンの画面を見ながら指を動かしている。

 今ではもう見慣れた景色になってしまっているが、ひょっと見方を変えて見ると異様な光景である。皆が同じ様にマスクで顔を隠し、一斉に俯いてスマホの画面を触っている姿はどう見ても、普通ではない。何か奇妙な恐ろしい背景が迫って来ている様な感じがするではないか。

 ふと、私が未だ若かった頃の戦争中の街の姿が目に浮かんだ、当時は軍服を着て、日本刀をぶら下げ、長靴を履いた将校が我が物顔に闊歩していたが、一般人も、それまで背広を着ていた人までが、皆国防色の国民服に着替え、学生も全員制服制帽にゲートルを巻いていた。女性は一般人も学生も皆もんぺ姿であった。あの頃も、平時のいろいろな服装の時代から、見る見るうちに変わっていって、戦時色一色に染まって行ったのであった。

 あの頃は戦争中だからこうなのだと思ったものだったが、今はコロナの感染予防のために仕方のないことなのだろうか。やはり世の中は平和で、多様な人々がいて、いろいろな景色が見られるのが良いなあと思わざるを得ない。やっぱり全員窮屈なマスク姿は平和な世の中とは違うのではなかろうか。

 それに、昨年はコロナ流行のために、学校は閉鎖されるし、夜遊びや旅行も禁止され、「三密は避けよ、距離を開けろ、家に留まれ、話をするな、マスクをして手を洗え」などと強制され、「出来るだけ仕事にも行くな、リモートで仕事せよ」などとまで言われ、ストレスは溜まるは、仕事はなくなるは、そのために大量の失業者も出るはで大変だったし、交通業や飲食業、芸能エンタメ業界等では客が減るなどで、産業界の打撃も大きかった。

 その中で、もう老い先短い私はどうしていたか。コロナが流行しだすより一足先の、一昨年の11月に脊椎管狭窄症になり、急に家から駅までも、休み休みでなければ行き着くことが出来なくなり、手押し車を買って、それを押して歩くようになり、迷惑をかけてはいけないと思い、僅かに残っていた仕事も止めたところで、コロナが流行り出したのであった。

 足とコロナの両方で、電車に乗って大阪まで出るのも、ぴたりと止めてしまうことになった。それまでは、仕事の他にも頻回に大阪へ出ていたので、一ヶ月に阪急の22回有効の回数券一枚では足りなかったのが、急にもう全く使わなくなってしまった。

 コロナの流行の中では、老人はうろちょろしない方が良いし、足が悪くては、遠方までは行けない。そうかといって、家でじっとしているには未だ元気過ぎるし、退屈する。足のリハビリんためにも、歩かねばならない。足とコロナのお陰で、社会的な繋がりは殆どなくなってしまったが、未だ元気に生きている。なるべく近くを歩くようにした。

 そうなると、殆ど毎日が同じようなスケジュールになる。朝起きるのはますます早くなり、3時半起床が普通になったしまい、5時頃までパソコンでメールをチェックし、インスタグラムで孫の動静を伺い、ツイッターフェースブックを見、次いで朝飯を食い、新聞を持ってトイレに行く。6時前から、腕立て伏せから始まる自分なりのストレッチ体操をし、続いてラジオ体操。6時25分に終わってからは、新聞のニュースや論説記事などを読み、その後30分あまりのナップを挟んで、またパソコンに向かい、9時にはティータイム。その後もパソコンでブログを書いたり、写真のリタッチなどをしていると昼になる。

 昼食後は大抵女房と一緒に近くへ歩きに出かける。日によって行き先は異なるが、猪名川が近くにあるので、その上流や下流、右岸左岸と色々歩ける。また五月山が手頃な距離なので、その麓の公園や、動物園、池田城、緑のセンター、美術館、古墳、お寺に神社と、盛り沢山に色々あるので、色々楽しめる。昔から続けて来た、月に一度の箕面の滝詣でにも行かねばならない。

 こうしてあちこち歩いて来て帰宅してからは、大抵本を読んだり、ブログを書いたり、自画像を描いたりだが、たちまち日が暮れて、夕食、入浴などしていたら瞬く間にもう7時。朝が早いのでもう寝る時刻である。テレビなどゆっくり見ている暇もない。あっという間に一日が終わってしまう。

 その上、毎日が同じようなスケジュールになると、曜日もあっという間に過ぎてしまう。朝のラジオ体操の指導者が三人いて、日替わりでテレビに現れるので、曜日が知らされるのだが、昨日、週末だったなあと思っていたら、忽ち、もう明日は土曜日といった感じで、日も曜日もどんどん過ぎていく。なかなかゆっくりしている暇などない。

 同様に、決まった日や曜日、月の繰り返しで、忽ち四季が過ぎ、それこそ、あっと言う間にコロナの一年が過ぎてしまった感じである。コロナは早くなくなって欲しいが、当方も、もういつ死んでも不思議でない。ただ、未だ元気でいるので、この分では今年も、もうすぐ夏になり、93歳の誕生日、やがて秋が過ぎて年が変われば、もう数えで95歳になってしまう。最早、成り行きに任せるよりないが、果たしていつまで生きることになるのであろうか。