私が子供の頃に教わったのは、日本の人口は7千万人で、当時の植民地の朝鮮半島や台湾を合わせて約1億人であり、国の発展のためには一億一心、百億貯蓄だの、産めよ増やせよ地に満ちよなどと言われたものでした。全てが開発、成長、発展、巨大化が目標であった。
大日本帝国の夢は誤った戦争であえなく潰えたが、戦後一旦三流国に落ちたものの、朝鮮戦争などでアメリカの尻馬に乗って幸運にも成長のチャンスを掴み、再び大きいことは良いことだとばかり人口も増やし、産業も高度成長させ、一時はJAPAN as NO.1で、一億総中流と言われるぐらいにまで成長した。
しかし、やがてそれは頂点に達し、世紀が変わる以前のバブル崩壊から立ちなれず、成長から見放された30年が続き、その間にすっかり少子高齢化の時代となってしまい、構造的にも、もはや昔の高度成長などを望めない社会になってしまった。その間の世界の変化に取り残され、世界のIT化にも遅れ、個人の所得も韓国にも抜かれている。
顕著な例は1989年、つまり平成元年には、時価総額で世界のトップ20社の中に、何と日本企業が14社も入っていた。第1位はNTTであった。ところが、2018年には、世界のトップ20社の中に日本企業はゼロである。日本で第1位のトヨタでさえ、35位でしかない。その間の平均賃金も欧米諸国が20%から30%、韓国に至っては58%も上昇しているのに、一人日本だけが90%以下に下がっているのである。
この変化は、30年にも及ぶ日本の産業の停滞期に、中国をはじめとする新興国の発展、バブルの崩壊や、それに続くアメリカや西欧の標準に合わされた日本の産業構造の変化が進んだ一方で、日本の少子高齢化による人口、ことに労働人口の減少など、日本の社会情勢がすっかり変わってしまったことの現れであり、今後も当然こういった状況は続いていくものと見なければならない。
もはやバブルや一億総中流、JAPAN as No1などは過去の夢である。過去の栄光も実は戦後の朝鮮戦争やヴェトナム戦争に助けられて高度成長にありつけた、多分に偶然のラッキーな巡り合わせがあったればこそ成功したもので、再びそれが巡ってくることは考えられない。ここらでこの国は根本的に進む方向を変えるべきではなかろうか。
悲観することはない。もともと国民の求めるものは、決して産業や軍事で世界一の強大国になることではなく、国民皆が生活に困らず、普通に働いて、幸福に暮らせる国にすることではなかろうか。現実に国民の幸福度を示す国のランキングというものもあるが、現状では日本の順位は惨めなものである。
過去のランキングを見ると、トップに並ぶのは北欧諸国で、日本のこの5年間の順位を見ると以下のようである。
- 2015年 46位
- 2016年 53位
- 2017年 51位
- 2018年 54位
- 2019年 58位
何とかこれを逆転させていくことこそを、国の進む方向にすべきではなかろうか。
平和憲法まで変えて、軍備を増強し、国際協力と言ってアメリカの手先となって行動するより、国内の福祉を充実させ、国民の生活を豊かにして、北欧諸国を超えて、国民の幸福度を世界一にすることを目標に掲げるべきではなかろうか。少子高齢化の国が戦争に耐えることができるはずがない。
国の実態が昔とは変わってしまっているのである。今更JAPAN as NO.1などを目指しても意味がない。ここらで国の進む方向を変えて、強大な国より、「幸福な国民の国」を目指すべきではなかろうか。そのためには、完全な独立国になり、国の運命を自ら自主的に決められるようにすることが必須であろう。
その上で、軍事ではなく、外交に力を注ぎ、安定した経済発展のもとで、国民の福祉の充実を進めていくべきであろう。
(註:この文はもう2〜3年も前に書かれ、そのままになっていたものです)