80億分の1

 世界の人口は80億人と言われている。紙にボールペンで一つ一つドットを打つとして、いくら早くても、一秒に4〜5回打つのが限度だろう。疲れるので、長く続けようとすれば、せいぜい一秒に3回ぐらいか。そうやって数えようとすると、一分で180回、一時間で1080回、1日でおよそ26,000回、一年で9490万回。人生80年として約75億9200万回となり、漸く世界の人口を数え切ることが出来る計算になる。80億というのがいかに大きい数字かということがよくわかる 。

 この無数とも言える一人ひとりが、自分と同じかけがえのない個人として尊重されるべき存在であり、この同じ世界に同胞として、同じように幸福を追求する権利を持って生きていることを先ず認識すべきである。自分は、この同時代を生きている、同じ価値を持った、全人類の80億分の1の存在というわけである。

 これだけ多い人たちが地球上に住んでいるのだから、生物学的な特徴にも、住んでいる自然や社会的な環境にも、多様な違いがあり、お互いにいろいろなトラブルが起こるのも当然であろうが、それを超えて、同じ人間、同胞として、人類という種の発展のためには、お互に助け合って生きて行く義務が全ての人にあるのではなかろうか。

 我々がその中で生き、利用し、恩恵を受ける地球は、皆に共通した生存の場であるから、その恩恵も被害も、受ける対象に対しては、皆で力を合わせて対処すべきであり、自然やその変化に対応して、人類の発展に貢献し、全ての人が「能力に応じて寄与し、必要に応じて受け取る生活」が出来る人類社会を目指して努力するべきであろう。

 これまでの歴史や社会では、人々は初めは多くの地域や人種に分断され、それぞれ別々の社会の中で、別々の世界を作り、別々の発展をして来た。ところが近代になって、相互の交流が次第に深まり、相互の戦争や征服、貿易、友好関係などの紆余曲折を経て、今や、経済的にも社会的にも関係性が深くなり、人類の数も増え、次第に共通基盤も広がってきた。

 このような人類文化の発展は地球の資源の利用によらざるを得ないものであり、今や人新世と言われるぐらいに地球環境に大きな影響を与えるまでになっており、必然的に人類が繁栄を続けるためには皆で力を合わせて解決しなければならない問題も増えてきた。

 未だに人類間での闘争が絶えないが、人新世を生み出した資源の消費、自然の改変、破壊、気候変動、世界的貿易、巨大諸産業、感染症など、今やSDGs が唱えられる如く、人類が一致して共同で対処しなければ、人類の未来を怪しくしかねない問題が山積して来ている。コロナの流行一つを見ても、全地球的に考えなければならない問題であることがわかるのではないだろうか。

 この人類の歴史も、社会も、この80億人の出来事である。今後も人類が繁栄していくためには、もはや人類同士の争いをやめて、お互いの矛盾を超えて、一致して全人類に共通した問題の解決に向かわねば、明るい人類の未来は望めなくなるのではなかろうか。

 最早、一部の先進国の主導だけで解決しようということが通用しなくなって来ている。お互いの争いを超えて、80億の人々が、皆同じ同胞として、平等に力を合わせて解決しなければならない時代がやって来ているのではなかろうか。

 未だに他国への侵略が起こっているような現状を見れば、解決の道はなお夢のように遠い感もあるが、今後の人類の生存、発展を考えれば、ここらで皆がお互いに平等な基盤に立つことを認め、公平で自由な民主的なの世界を確立に努力していかねば、やがては、人類が依存している地球の方が人類の生存を許さなくなるのではなかろうか。