酔生夢死

 最近家にいることが多くなり、ぼんやりと庭などを眺めていると、ふと酔生夢死という言葉が頭に浮かんできた。 
 酔生夢死(すいせい・むし)を辞書で引いてみると、「何もせずに、むなしく一生を過ごすこと。生きている意味を自覚することなく、ぼんやりと無自覚に一生を送ること。酒に酔ったような、また、夢を見ているような心地で死んでいく意から」とある。遊生夢死ともいう言葉もあるらしい。
 何もしていないのにとまでは思わなくとも、いつの間にか、あっという間に時間が経ってしまい、もう人生の終局、やがて一生を終えてしまう感じがする。若い時には毎年、夏が終わりに近づき、法師蝉が鳴き出す頃になると、時の経過にイライラと急き立てられる気分になったものだったが、今では時の経過を静かに見守るばかりである。
 光陰矢の如しと言われ、過ぎ去った時間の経過は早いものだが、それも均一ではなく、歳をとるほどに加速度がつくようにさえ感じられる。つい先日、足を悪くしたのに続いてコロナが流行り出し、それを機会に仕事を辞めたのだったなあと思い出しても、もう既に二年半も以前のことである。
 長い一生もあっという間に過ぎ去って行ってしまった感じだが、その中で一番大きな出来事と言えば、何と言ってもあの戦争である。忠君愛国、教育勅語軍人勅諭天皇陛下大元帥陛下、神国日本、皇軍、一億一心百億貯蓄、東洋平和、満蒙開拓、南京陥落、渡洋爆撃、援蒋ルート、ABCD包囲網真珠湾攻撃、米英撃滅、ミッドウエイ海戦、ガダルカナル、転進、轟沈、玉砕、特攻、沖縄戦、本土大空襲、焼け跡、被災者、最後の決戦、神風、天佑神助、ピカドン玉音放送進駐軍闇市、浮浪児、・・・いくらでも思い出される。
 色々なことがあったが、日本は負け、社会は潰れた。それと共に、私は自分の全てのものを失った。生まれてからそれまで、大日本帝国に純粋培養されたような私は、他の世界を知らなかった。ただひたすらに国に命を捧げようと思っていたのに、その生存の根拠を奪われてしまったのであった。そうして虚無の世界に放り出された者の再生には時間がかかった。二度と味わいたくない惨めな経験であった。
 しかし、それも今では遠い昔のこととなってしまった。私にとっては歴史上の出来事であった明治維新から敗戦までが77年、ところが、敗戦から今日までが、もうそれと同じ77年になってしまった。敗戦の時に誓った「きっとこの仇は返してやる」との誓いも最早、遥かに遠い昔の話になってしまったのに、日本は未だに敗戦国の続きで、アメリカの属国のままで、独立出来ていない。
 慶長3年に没した豊臣秀吉の辞世とされる「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」 が有名であるが、私にとっても、一生はまさにそれと同じような感じである。絢爛たるなにわの夢とは反対に、惨めな戦中、戦後の体験であったが、今となってはまさに戦争の体験も夢のまた夢である。
 もう現在生きている殆どの人にとっては、あの戦争も歴史上の悲惨な出来事であったに過ぎなくなってしまっているのであろう。住民の四人に一人が殺されたような沖縄戦についても「私は戦後生まれだから戦争のことを言われては困る」といった総理大臣まで出てきた時代である。
 非情な時の流れ。それに乗せられた人の定められた運命。誰しも例外なく死んでいく。私もやがてはこの世にいなくなる。それでも次の世代への期待、未来の夢は捨て切れずに残して去って行くことであろう。生まれ故郷のこの国、日本が独立して、もう少しは、夢のある国になって欲しいものである。
 そのためには、どうか絶対は戦争はするな!戦争に行かない人の戦争の話に乗せられるな!