戦争を知るのは最早後期高齢者のみ

 殆どの国民の生活を破綻に追いやったあの悲惨な戦争も、今では74年も前に終わったことになる。それでも、私にとっては、まるで昨日のことのように、今尚鮮烈に思い出されることで、90年を超える人生も、1945年の敗戦を境に、その前と後ではっきりと分かれてしまっている。

 何も知らずにただ闇雲に、忠君愛国、天皇陛下万歳大日本帝国を信じ、それに殉じようとしていた戦前の少年の全ての世界が崩壊し、全てを失って茫然自失の続いた前半の人生と、漸くのことで過去を清算して新しく築き直して来た戦後後の人生がはっきりと分かれている。破壊と敗戦による急激な社会の変化、その中での人々の赤裸々の動きも今なお鮮明で、忘れ得ない記憶となっている。

 この戦争の悲惨さ、人間の愚かさ、過酷な体験などはどれだけ話され、記されたことであろう。恐らく当事者の全てがもう二度と戦争をするまいと思い、いつまでも語り継がねばと思ったに違いない。

 しかし、時の経過というものは冷酷なものである。74年もの年月が経つと、戦争を経験した者は次第に鬼籍に入り、今や戦争を知るのは最早、後期高齢者のみとなってしまった。戦後の混乱期である戦後の焼け跡の闇市傷痍軍人や浮浪児、その頃の飢えと貧困の時代を知っている者さえ、もう還暦を超えた人達だけになってしまっている。

 今の社会で、現役世代として活躍している人たちはもう戦後の貧しささえ知らない人たちばかりである。1960年の安保闘争以前の、束の間の戦後の輝かしかった民主主義の始まりの時代も知らない。民主主義の教育も遠い昔の語り草になってしまった。

 我々にとっては忘れることの出来ない12月8日も、今では思い出す人も少なくなって来ている。日本がアメリカと戦ったことすら知らない人がいて、びっくりさせられたことがあったが、戦争とはアメリカとの太平洋戦争のことだけだと理解している人も案外多いことに驚かされる。 

 15年戦争という言い方もあるが、1930年の満州事変から始まって、上海事変支那事変と宣戦布告なしの大陸への侵略から戦争が始まり、それが続いた上で、ノモンハン事件などを挟んで、大陸で戦う構えが急速に変わって、アメリカとの矛盾が大きくなって、真珠湾攻撃、世界戦争となったのがこの戦争の経過である。

 しかし、このような経過を理解しないの人たちを非難するわけにはいかない。74年も経てば、どんな出来事も歴史の一コマでしかなくなってしまうのは致し方ないことである。私が子供の時には、明治維新日露戦争関東大震災などが過去の大きな出来事として語られていたが、それと比べてみると、今の若い人たちにとっての戦争の位置づけが想像できる。

 明治維新は1868年、日露戦争が1904年だから、私が小学校に入った昭和10年(1935年)を基準にしてみると、明治維新が67年前で、今で言えば丁度、敗戦の頃のような感じ。日露戦争は随分昔のことだと思っていたが、31年前、今で言えば平成に変わった頃のことに過ぎない。関東大震災が1923年だから、それからはまだ10年そこそこしか経っていなかったことになる。今でなら東日本大震災に似た感じである。

 家にはまだ東郷平八郎の写真が貼られていたし、乃木希典や広瀬中佐の話などもよく聞かされた。大地震といえば関東大震災のことで、浅草の12階建ての建物が崩壊したことや、被服廠跡で大勢の人が焼け死んだり、朝鮮人が池に毒を投げ込んだというので大勢殺されたという話などをよく聞かされたものであった。

 そんなことを考えると、今の若い人たちの戦争に対する思いは、我々のような体験者とは随分違っていて当然であろう。我々のように忌まわしい体験から全身全霊をもって忌み嫌うのと、理性によって客観的に判断しての否定の違いがあるであろう。

 我々体験者としては、我々の切ないまでの戦争に対する想いを伝えて、理性的な判断の材料として貰い、全てを破壊し、悲しみしか残さない戦争を二度と起こさない工夫をしてくれることを願うしかない。やがてもう我々もいなくなるが、我が子や孫たちがあの悲惨な戦争だけは何としても避けて欲しいと切に願うばかりである。