満年齢か数え歳か

 いつの間にか年が変わってもう2024年になってしまった。今年の誕生日が来れば私は96歳になる。数えで言えば、既に97歳になっているわけである。まさかこの歳まで生きていようとは思わなかった。

 戦前の日本では、人の年齢を数えるには数え年で言うのが普通であったが、今では満年齢が普通になっている。生まれてからの実際の長さを言うならば、満年齢で言うべきであろうが、どちらが良いという問題ではない。生まれた年の赤ちゃんは零歳だが、生まれて一年目でもある。小学校に入れば、初めの一年目なので一年生というのと同じである。

 私くらいの世代の人たちは数え年と満年齢の移行期に暮らしてきたので、この両者を適当に使い分けたきたものである。年齢の数え方が二通りあることは、紛らわしいこともあるが、具合が良いこともある。子供も10歳を超えると次第に自我が発達してくる。その頃になると、大人願望がで出てくる。まだ子供のくせに、少しでも大人に近く見せたい時が生じる。そうした時には満年齢ではなく、数えで言って少しでも大人らしく見て貰いたく思うことがあるものである。

 また大人になってからも何かをやって、あの若造がと馬鹿にされたくない時には数えで言って少しでも立派に見せたくなる。それが行き過ぎると年齢詐称となるが、ついそうしたくなる頃合いもあるものである。手塚治虫は私の中学校の友人であったが、彼は敗戦後、若くして漫画で売れ出した頃、昭和3年生まれだったのに、サバを読んで大正15年生まれだと言っていた。

 そうかと言うと、今度は30代ぐらいになって、何かで認められた時などには。若いのに不相応に立派だということを認めて貰いたい時などには、満年齢で言って、場合によっては、月数まで明かして満年齢を強調することにもなる。

 もう少し歳をとって来ると、特に女性は少しでも若く見せたいと、年齢を詐称する人が多くなる。中には極端な詐称をする人もおり、どう見ても、経歴などからも、四十は過ぎているのに私と一緒に乗った乗船名簿に平然と35歳と書いた女性もいた。男性でも万年青年だなどと言って、若いことを自慢する人たちは、せめて一つでも若く見せたいために、数えの年齢でなく、満年齢を使いたがる人もいた。

 こうして年齢が二つあると、その時その時に応じて、使い分けられる便利さがある。二つばかり若かったり、歳をとったり出来る楽しみは捨てがたい。還暦や喜寿を過ぎる頃までは一般には少しでも若く見せたい願望の強い人達が多いので、満年齢の出番が多いが、それを超え、米寿、卒寿となって来て、周りの友人たちが次々に消え孤独になってくると、今度は周りから「お元気ですね」などと歳を寿ぐ声が聞こえてえてくる様になる。

 そうなって来ると、今度は長寿の値打ちが出てくる。「95歳には見えない、お元気ですね」と周囲から言われるようになると、本人も歳をとったことが自慢になる。すると年齢は多い方が良い。満年齢より数えで少しでも多い歳を言いたくなる。

 そんな訳で、2024年の正月には私は満年齢ではまだ95歳であるが、数え歳では97歳になる。と言うことは、それまで生きているかどうかはわからないが、もう2年先には99歳の白寿になると言う訳である。数えの年齢も有難いことである。