人生100歳時代は幸福か?

 最近政府は少子高齢化で老人が増え若年者が減って、社会保障の若年者の負担が増え、老年者の医療や介護費が増えたことへの対策として、全世代型の社会保障なるものを打ち出してきている。その中で、人生100歳時代とか言って、元気な老人が増えたことを仕切りに強調し、65歳の定年を過ぎてもまだ働きたい人が多いので、70から75歳ぐらいまでは働けるようにし、老齢年金の支払いを遅らせ、老人医療費の負担を増やそうとしている。

 人生百歳時代といえば、一見老人を寿ぎ、豊かな老後を尊重するように聞こえるかも知れないが、まともに聞いてはならない。子供が減り労働力が不足し、他方で老人医療費が増え、介護する人が不足し、社会保障制度が行き詰まってきたために、全世代型社会保障などと言って、老人への支払いをケチり、老人をもっと働かせて、老人の社会保障費を切りつめようとする算段なのである。

 100歳老人というが、実際に100歳まで生きられる人はどれぐらいいるのだろうか。昨年の統計数字では、100歳を超える人は近年増えたと言っても、およそ7万人で、その9割は女性である。その中で、元気で独り立ちして生活出来る人はごく僅かで、ことに男性では例外的にしかいないようである。

 今後100歳を迎えるぐらいの世代が生まれた時代は、毎年おおよそ200万人の赤ん坊が生まれて、100万人が死に、自然増が約100万人だったから、それを見ても百歳まで生きている人がいかに稀であるかが分かるであろう。百歳超えが7万人といっても何年かの累積数であるから尚更である。

 平均寿命で見ても、男は80歳、女は86歳であるが、一人で身の回りのことをこなせる健康寿命でいうと、男71歳、女76歳ということになり、その差額は当然自立しては暮らせないことを示しているわけだから、百歳まで生きるのが如何に大変なことだということがわかる。

 そういうことから見ても、政府のいう百歳時代というのは、単なるキャッチフレーズであり、社会的に労働力の対象としての最高年齢はせいぜい健康年齢ぐらいのものだと判断しなければならないであろう。大雑把に言って、男70歳、女75歳ぐらいが労働力の対象となる限度と考えるべきであろう。

  しかも、これは平均値に過ぎず、政策の対象となる場合には、何事も得てして平均値で考えらガチであるが、老人になるほど体の条件のバラツキが大きくなるもので、そのばらつきは若年者とは本質的と言っても良いほど異なるものであり、老人を対象とする場合に、若年者同様の平均値で判断しては大きな誤りを犯すことになることにも注意すべきである。

 人生百年時代は今なお夢であり、目標とはしても、それを根拠に政策を考えるべきではない。政府のいう人生百年時代は幸福どころか、やっと巡ってきた老人の静かな生活を奪い、老いた体に鞭打って働かされ、年金まで減らされて、肉体的な衰えに、経済的貧困までおい被さって命を終えねばならない「姥捨て」の世界となるのではなかろうか。