クリスチャンでもないのにクリスマス

 今日はクリスマス、クリスチャンでもないのにサンタクロースだ、クリスマスツリーだ、クリスマスプレゼントだ、クリスマスパーティだと言って大はしゃぎする人が多い。

 街中はクリスマスの飾りやイルミネーションで賑々しい。最近ではアメリカなどに倣って、普通の家でも、戸外に飾り付けやイルミネーションをする家も増えてきた。

 我が家でも昔はクリスマスツリーや電飾で賑やかに飾ったこともあったが、今や老人二人では、夜に街へ出かけることも出来ないし、クリスマスツリーを飾る気にもならない。それでもやはり光ものには惹かれるので、せめて送っていただいたクリスマスカードの電飾をピアノの上に置いて楽しんでいる。

 クリスマスはもう90年も昔、私が物心ついた頃にはもうこの国にも定着していた。「清しこの夜、星は輝き・・・」とか「ジングルベル、ジングルベル・・・」など、今では知らない人もいないであろう。

 日本ではキリスト教の人も多くなったとは言えまだまだ少数派で、多くの人はクリスチャンではない。にも関わらず、クリスマス協奏曲は年々盛んになるばかりである。クリスマスはイエスキリストを讃える日ではなく、プレゼントを交換したり、祝杯を重ねて散財し、人生を楽しむ祭日なのである。

 ところが、クリスマスを終えて一夜明けると、街のクリスマスの飾りはさっさと撤去されて、代わりに門松が立てられ、正月ムードに早変わりするのである。一般の人々ももうクリスマスなどあったことも忘れたかのように、今度は年末の片付けや正月の準備で忙しくなる。

 そして一週間も経たないうちに、次はお寺の除夜の鐘を聴いて、元旦には初詣に出かけることになる。初荷や初売りなどでどこの店も大売り出しで賑う。この変わり身の早さには外国人でなくてもびっくりさせられる。

 日本ではキリスト教の様な一神教は流行らない。日本の宗教の根本はアニミズムである。神様であろうと、仏様であろうと、はたまた大自然であろうと、何にでも手を合わせてお参りするが、願い事は殆ど、家内安全、交通安全、合格祈願、願望成就等といったごく身近な願い事ばかりである。

 神仏合体で今なお神社とお寺が一緒にあることに殆どの人は違和感を感じないし、初詣も神社に行く人が多いが、所によってはお寺に行く人も結構いる。正月や願い事は神さんにして、葬式はお寺、結婚式は教会というのにも違和感を感じない。神社で神様に頼み、安産であります様にと腹帯をお寺に貰い、子供が生まれたらお礼参りに神社へ行くが、七五三は神社へ行く人もお寺へ行く人もいる。

 今の日本では、これらは宗教に頼るというよりは、決まった行事やお祭りとして行われているのが普通である。そんなこともあって、アニミズムに乗っかった行事も、近年はすっかり資本主義的な商業主義に乗せられてしまっているので、海外由来のハローウインやバレンタインデーなど、今までなかった記念日までが、まるで日本のお祭りの様に派手に行われる様になってきた。

 もう宗教や歴史などどうでも良い。皆を焚きつけて盛り上がり、儲かりさえすれば良いのである。それに乗せられて新しいお祭りも増えていく。そのうちにイースターなども盛んになるかも知れない。新しいエキゾチックなものが好まれるので、今は外国生まれのものばかりだが、将来は演出の如何では、ひな祭りや五月の節句、七夕なども大きなイベントにならないとも限らないのではなかろうか。

 本来自転車操業で止まることので出来ない資本主義は、最早あらゆるところに触手を伸ばしてでも生き延びねばならない。その触手に乗せられて、人々はますます派手に大規模なお祭りを繰り広げることになるのである。この先がどうなることやら誰にも予想がつかない将来が待っているのであろう。