階段の手すり

 若い時に海軍兵学校で鍛えられ、階段は上りは一段跳びで、下りはそのまま、走って昇降する癖がついていたが、元々せっかちな私にはそれが性に合ったのか、若さに任せて、戦後もずっと階段の昇降にはそれを守って来た。

 そんな時代には階段の手すりなど無用の長物のようなものであったが、ただ、船の階段のような急な階段を降りる時だけは、手摺りに手をかけながら走って降りたものであった。

 ところが、歳をとると次第に一段跳びで走って登るのは無理となり、せいぜい急いで登るぐらいとなり、やがては、ゆっくり一段一段踏み込まないと登り難くなり、遂には、少し急な階段では手摺りに頼らなければ上がれなくなっていった。

 下りも走って降りなくても、急いで降りると、薄暗かったりすると最後の一段を踏み外して転倒するようなことが起こるようになる。イスタンブールのガラタ塔でそれをやり、係の人が慌てて椅子を持ってきて座らせてくれたことが忘れられない。

 そういう目に遭い、歳をとると、手すりが次第に有難いものになって来る。歳をとってからは、降りる時には手すりを持たなくとも、手すりに手を沿わせて、いつでも手すりが持てる様な姿勢で降りることにしていた。雨の日に本町の地下鉄の駅で、濡れた階段で滑った時に、手すりをすぐ持てたから、反対側の頬を壁にぶつけただけで転倒しないで助かったことがあったからである。

 我が家の階段も、家を新築した時に、初めの予定では手すりはなかったのだが、歳をとってからのことを考えて付けて貰ったのだったが、今では、疲れている時など、登る途中で手すりに掴まってやっと二階に辿り着く感じだし、降りる時も必須のものになっている。

 駅などの階段でも、手すりのおかげで命拾いしたこともある。飲んで帰った時なので、詳しくは覚えていないが、駅の階段で滑ったらしく、側壁で顔面を打って出血し、通りがかりの人が119番へ連絡してくれ、病院へ搬送されたことがあった。手すりを持っていなかったら、階段を転げ落ちて骨折でもしていたことであろう。階段から転げ落ちて命を落とした人もいる。

 駅の階段と言えば、こんなこともあった。コロナが流行り出した冬、感染のことも考えて、階段では出来るだけ手袋をはめて、手すりを持って昇降する様にしていたが、改札の中のホームへ上がる階段では、手すりを持って昇降すると、一度で白い手袋が真っ黒になるぐらいに汚れたが、駅の端から地上に降りる階段は、手すりを持って昇降しても全く手袋が汚れない。掃除のおばさんを見かけたので、その旨告げて礼を言ったら、それがきっかけとなって、そのおばさんと仲良くなり、今でも通る度に挨拶をする様になっている。

 更には、最近はトライウオーカーなる歩行補助具を用いているので、上りのエスカレータはよいが、下りのエスカレーターや階段では、ウオーカーを腕でぶら下げて降りるので、手すりのご厄介にならないと無理である。

 若い時には手すりなどあってもなくてもよい様なものであったが、歳をとると、階段の手すりは必需品になる。手すりのお蔭で階段の昇降がスムースに出来ていると言っても良い。老人は手すりなしでは生きてけないと言っても良さそうである。