沖縄の本土復帰から50年ということで記念式典なども行われてようであるが、沖縄の基地問題などは一向に解決されないばかりか、最近は軍備増強などで返って平和から遠ざかって来ている感じさえある。
朝日新聞の声欄に”「なんくるならない」沖縄よ”という投書が出ていた。敗戦が迫ってきた戦争末期の頃の日本で、最早誰の目にも負け戦がはっきりしてきた頃によく耳にした「どうにかなる」という言葉を思い出した。
投書は『王国だった琉球が日本国に組み込まれて以来、差別や無視という扱いを繰り返し受けてきた。さらに台風など過酷な自然環境。先人が心身の健康を保つため、考え出した言葉が「なんくるないさ!」(なんとかなるさ)ではなかったか。復帰後50年だが、理不尽は今なお続く。
米軍基地は減らず、民意を無視して続く辺野古の新基地建設、宮古島、石垣島、与那国島への自衛隊配備で、沖縄が軍事要塞になるとも危惧する。「なんくるないさ!」は封印して、「なんくるならない」に切り替えねば。』という趣旨であった。
昭和20年太平洋戦争も末期となり、日本の敗戦が濃厚になって来ても、政府は「神風が起こる」、「神祐天助だ」と言っていたが、どう見ても勝ち目がない。しきりに「本土決戦だ」「最後の決戦だ」と言うようになったが、誰の目にも勝敗は明らかになって来た。
それでも「神州不滅」で、負けることは考えられない、考えてはいけないことであった。[どうなるのやろう?」と尋ねてみても、答えは皆「どうにかなるやろ」としか返ってこなかった。その頃は誰もが「どうにかなる」としか言いようがなかったのである。
「どうにかなる」は「どうにもならない」を意味していたのである。今の沖縄も「どうにもならない」ので、「なんくるないさ」を「なんくるならない」と言い換えなばならないところまで追い詰められてしまっているのである。沖縄の人々の心情を考えてみるべきである。
国民にそこまで犠牲を強いて、それを無視してまで、アメリカに奉仕しなければならない日本政府の情けなさよ。憲法改正より、憲法より上位の法である「日米安保条約」の改正こそ、沖縄の人々ばかりか、国民が何より臨むことなのに、政府はそれには目を瞑って答えようとしない。
怒れ同胞よ!政府は最早「アメリカの出先機関であっても、日本の国民のための政府ではない」と言っても良いのではなかろうか。