大日本帝国の77年と日本国の77年

 また8月15日がやって来た。日本が戦争に負け、大日本帝国が崩壊し、アメリカの統治下に置かれるようになった屈辱の日である。忘れることの出来ない日なので、いつまでたってもつい最近だったような気がするが、今年は最早2022年。1945年の敗戦からもう77年経ったことになる。明治維新の1868年から敗戦までの大日本帝国の時代も77年だったので、それと全くと同じ長さになるである。

 あの悲惨な空襲や焼け野が原、惨めな飢えと虚無、混乱の戦後。今でも昨日のことのようで、とても77年も経ったとは思われない。私の個人の歴史も、敗戦の昭和20年を境に、その前後でプッツリと断裂している。戦前が良い時代だったとは思わない。しかし、当時はま子供だったので世の中のことを知らなかったので、それが全てであった。

 敗戦とともに、その大日本帝国の全てがなくなってしまったのである。そこから再出発するのは大変なことであった。時間もかかった。耀しく光っていた世界が突然暗黒に消え、暗闇の中で右往左様して漸く立ち直ったものの、こんな時代がいつまでも続くわけではなく、10年20年も経てばまた新たな光がさし、日本も普通の国になるだろうと思っていた。

 確かに世の中は変わった。朝鮮戦争ベトナム戦争のおかげで息を吹き返し、民主主義がそれなりに定着し、人々は経済的に豊かになり、ひと頃は国民総中流、JAPAN as No1とまで言われる時代にもなった。しかし人々のプライドは恢復していない。この国の主権はいまだに奪われたままである。敗戦の結果は今なお続いている。

 未だに日本はアメリカの従属国のままである。日本国憲法より日米安保条約の方が上位の法律であり、アメリカは今なお日本に軍事基地を置き、沖縄は米軍の前線基地としての役割を続け、日米地位協定によってアメリカ軍は日本の法律を超えて、全国どこででもほぼ自由に行動し、政府も国民の要望を抑えてまでして、米軍のために奉仕している。

 それがもう敗戦前の期間と同じ期間続いており、未だいつ終わるとも知れない。政府は国民を守ることよりも、米国の要望に応えることを優先せざるを得ない状態がずっと続いている。政府は一所懸命に国民を欺いているが、国民のための政府であるよりも、アメリカ政府の要望に優先して応える”植民地政府”なのである。

 この従属関係が当然のような事態がこれほど長期にわたって続いているため、多くの国民がそれに慣らされ、これが常態であるかの如く思っているのであろうか。政治的ばかりでなく、経済的にも社会的にも、この不平等な関係によって国民がどれほど損害を被り、自由な生活や発展を妨げられてきていることであろうか。

 横浜や神戸の租界の跡地からわかるように、明治の時代にも不平等条約に苦しめられた時期もあったが、それらは先人たちの努力によって30〜40年で解消された。戦前、戦後の時間の経過が同じ長さになったのを期して、政府はせめて日米地位協定だけでも、平等な条約に改定するよう努力してはどうであろうか。それで、やっと長かった戦後が終わる灯りが見えることになるのではなかろうか。