安倍首相の現役時代にあれほど問題になった多くの問題、森友学園問題。加計学園問題、桜見物問題、黒川問題、佐川問題等等、次々に問題を起こしながら結局その追求も弱く、安倍首相の暗殺でもう終わったと言わんばかりに、関係者は殆ど口を閉ざし、有耶無耶になったままである。佐川問題では犠牲になって自死した官僚まで出しても、結局誰も責任を取らず、そのまま過ぎてしまった。
安倍元首相の暗殺によって問題化した世界統一教会と政治家の癒着の問題も、もう今ではニュースにもならない。細田衆院議長や萩生田議員との統一教会との癒着の問題も、本人たちは口を閉ざしたままで、細田氏は衆院議長を辞めて亡くなってしまったし、萩生田氏は黙したまま、何事もなかったかのように、今も自民党の政調会長を務めている。
自民党としても、岸信介以来の密接な関係があり、政治的にも色々なの関係が明らかだったにも関わらず、今でも関係のあった議員からは統一教会との関係について絶縁したとの報告もないし、関係があったことが明らかな議員たちも口を閉ざして何も語らない。党としての説明もないままである。
先の大戦での中国人や朝鮮人への虐待や被人道的な扱いについても、政治家たちは反省の声すら閉ざしてしまったかのようで、歴史的に明らかな関東大震災後の朝鮮人虐殺事件いついさえ、東京都知事は無視、官房長官は政府に資料はないと言っている。
東日本大震災による原発事故の国会事故調を主導した黒川清がその著作の中で述べているが、いわゆる先進国と呼ばれる国々では、社会に大きな影響を及ぼす事件・事故が発生した場合には、国会主導で調査委員会が立ち上げられ、その出来事についての分析を行い、今後の対策を検討することが普通に行われている。しかし、日本では、原発事故後に立ち上がった事故調査委員会が憲政史上はじめての試みだったそうである。
日本ではどうして過去を振り返って総括し、それを将来の参考にしようというという当然のことが行われないのであろうか。それどころか、今も精神的に過去にしがみつき、例えば、近隣諸国の非難を無視してまでの靖国神社への政府の参拝は絶えないし、その戦争そのものの総括も、反省もとうとう有耶無耶にしたままである。
こうして過去に目を瞑り、過去を振り返らないままに、折角作られた戦後の憲法をも無視して、再軍備を進め、今や敵基地への先制攻撃さえ可能にしてしまっている。このまま進めば再び国民を悲惨な運命に貶める可能性が強くなって行くことに気がつかないのか、分かっていながら、あえてその道を進もうというのであろうか。
沖縄問題に端的に現れているが、政府は本当の国民を守り、二度と過ちを犯さない様に国民のための政治を行なっているのか、怪しむ人が増えて来ているのではなかろうか。