このところ日本の政治は本当にひどいことになっている。森友学園、加計学園の問題などの国会での政府の答弁を聞いてその成り行きを見ていると、政府や官僚が国会で見え透いた嘘の繰り返しをする上、廃棄したという記録が出てきたり、改ざんされていたりする。
しかも、それらがバレても、さらに誰が見てもわかる嘘で言い訳をし、誤りを認めた後でさえ、責任を官僚に押し付けて、大臣は政治責任さえ取ろうとしない。その上、官僚のセクハラ問題や、加計学園の事実を作り話にする幼稚な嘘のオマケまでついて、最早、国民は怒りを通り越して物も言えないぐらいである。
どうしてこんなことになってしまったのであろうか。権力が極端に首相府に集中したところで、安倍首相が私的な便宜を図ったことを否定したばかりに、官僚がそれを忖度して事実を隠し、ごまかし、記録の改ざんまで行ったというのが大筋のようである。
仮に刑事事件には問えないにしても、誰が見ても国会や国民を愚弄するもので、およそ民主主義とは相容れない行為で、政治的、倫理的に重大な責任があることは明らかである。官僚に責任を負わせて済ませられる問題ではない。この国の民主主義の終焉にも結びつく重大事である。
イラク派遣自衛隊の日報問題や働き方改革法案などの審議の進め方を見てみても、政府の国会への対応の仕方はあまりにもお粗末である。数を頼りにあいまいなその場限りの答弁で国民に十分な説明もせず、時間が経てば強行採決で済ませてしまうことが続いている。
さらには対米従属を深め、米朝首脳会議などでアジアの政治情勢が変化してもアメリカに追随するしか能がなく、その中で、憲法を改正して民主主義の否定、戦前の夢への回帰を企んでいる。国会は次第に形式的な通過儀式化し、戦前の大日本帝国の帝国議会に似てきている。社会の空気も次第に戦前に似て来ている。
このままではこの国は再び破滅に向かってしまうのではないかという危惧さえ感じられるようになっている。どうしてこの国には民主主義が定着しないのであろうか。
このような事態になっても、安倍内閣に支持率は下がっているものの、まだ30%以上を保ったままであることに一つのヒントがあるような気がする。一般社会での内閣支持率は極端に下がっても、自民党の最も大きな政治基盤である、直接利害関係に結びつく業界団体などでは利害に釣られて未だに自民党支持が続いているようである。
個人的には自民党のやり方に怒りを覚えているような人さえも、業界の中では業界の利害が優先し、個人の希望は抑えられる。業界としての金銭的な利害に結びついた業界の指導部に対しては同調しておかないと仕事がやりにくくなる。
特に日本では業界は一つのムラであり、和を尊ばなければ村八分にされかねない。表と裏を使い分けなければならない。反対意見があっても空気を読んで皆の調和を優先させる、それが大人の世界だというのが今だに続いている。数々の談合事件を見ればよく分かる。
個人としてはまともな人でも、集団となると集団の利益が優先し、個人の責任は曖昧、無責任となり、和を尊ぶ身近な小さい道徳は守っても、大きな視野が欠け、大きな流れには流されてしまうのである。そういう無責任社会が戦前の日本を滅ぼしたのに、この国の「むら社会」は未だに生き残り、再びこの国を危うくしかけていることに気付くべきであろう。
戦後の東京裁判で被告たちが口を揃えて言ったように、「私は戦争に反対していましたが、一旦国策が決まった以上は、それに従って努力するのが自分達に課せられた行き方であった」のである。まるで自分たちが戦争という現実を作ったことを拒み、まるで戦争が天変地異のようにどこからか起こってきたもので、それに適応するより選択肢がなかったかのよう言い逃れしようとしたのである。
この国の「むら社会」は今も続いており、原発事故でも人災事故と認めながら誰も事故の責任を取ろうとしなかったし、鉄道事故や会社の事故などでも責任が曖昧のまま終わってしまうことが多い。これらのことも考え合わせると、今後も同じようなことが起こるのではないかと思わざるを得ない。狭い範囲で辻褄を合わせようとして、大局を見逃すことを繰り返した挙句には大崩壊が待っていることになりやすい。
これでは戦前と同じ破滅の道を進んで行くことになるのではなかろうか。90歳の私の余命は長くないが、若い人たちが過去と同じ過ちを繰り返すことに耐えられない思いでいっぱいである。