安倍元首相銃撃死の謎

 安倍元首相の銃撃死事件については、要人警備の不備が問題となり、警察庁長官の引責辞職や奈良県警本部長の懲戒処分などが行われ、見直しが進んでいるようだが、事件そのものの疑惑点も残ったままである。

 一般には、山元とか言われる犯人の男の単独犯行で、旧統一教会への恨みがその動機だということで説明され、初めは統一協会を標的にしたが、困難だったので。関係の深い安倍元首相を狙ったもので、安倍元首相の政治に反対だったからではないとされている。

 ところが、それでは説明し難い事実が多く、納得がいかないとしている人もいるようである。一般の人達は十分な説明を受けていないので、真実を知る由もないが、それだけに異論を聞けば、それもあながち否定出来ないかもと考えることにもなりかねない。

 私も詳しく調べたわけではなく、また本格的に調べようとする用意もないので、何処までが本当なのかわからないが、言われれば、ひょっとしたらそうかもと、引っかかる点が多いのも事実である。思いつくままに順序不動で並べてみると以下のようになる。

1、大者の選挙の応援演説だというのに、これまでに見たこともないような、素人目にもあま

  りにも無防備な演説場所の設定である。しかもこの周辺で、そこが選挙演説に使われたの

  も初めての場所だったという。

2、しかも同じ駅前での安倍氏の前回の演説場所は、建物を背後にしたもっと安全な場所だ

  ったそうである。

3、犯人がすぐ後ろの道を堂々と進んでいるのに、誰も気にしなかったのであろうか。

4、犯人が用いた武器は自家製のもので、一発目は音と煙で皆を驚かしたが、それで怪我人が

  出たという発表は聞かない。

5、元首相が撃たれる直前に、すぐ後だにいたカメラを首にした男が直前に横に4〜5米ぐら

  い動き、ビル上方を見、その直後に銃撃音があり、この男だkrが伏せたという。狙撃され

  易いようにしたのではないかとも。

6、自家製の武器で一発目には失敗して、二発目で成功しているが、その間の1分少々の時間に

  何らかの処置がとられたのか。計五人もの警護員がすぐ横にいたのに何故か。

7、犯人の二発目と安倍元首相の傷の具合とは合致するのだろうか。その自家製の武器で殺

  害されたとして、傷の具合その他の結果は合理的に説明出来るのであろうか。

8 致命傷は左頸部から心臓に至る盲貫銃創だそうだが、弾が抜けていないのに弾が見つから

  ないというのはどういうことか。

9 犯人は地面に立っており、弾は緩い放物線を描いて飛んだとしても、それによって肩から

  入り、心臓に達する傷は説明可能なのか。

10、斜め上方から撃たれたとしか考えられないような傷痕であるが、それはどのように解釈

  されているのであろうか。

11、演説場所のすぐ横のビルの屋上から狙撃されたという写真入りの解説が出ていたが、そ

  の後、狙撃手がいたと思われる屋上のその場所に、暗殺?挙行時点の写真で簡易な構造物

  が見られ、それが3時間後の写真ではなくなっているようだが、どう解釈されているので

  あろうか。

12、犯人が精神障害者だという気配がないにも関わらず、外部との接触を避けさせるため

  に4ヶ月もの勾留にしているのは何故か。

13, 犯人が旧統一教会から安倍元首相に標的を変えたのは何故なのだろうか。

14、前日に岡山の統一教会に集会に行っており、奈良での安倍元首相の応援演説が前日夜に急

  に決まったばかりなのに、電車の中で知って、武器も取り替えて準備して来たというの

  にも不自然さを感じる。

15、現場検証でかなり離れてビルの壁にも弾痕があったとされていたが、犯人の武器の発射で

  全て説明出来るのであろうか。安倍元首相以外に、そこに居合わした人たちの怪我はどう

  だったのだろうか。

 まだ他にも色々あるだろうが、差し当たり、思い出した疑問点だけでも、このように多い。私にはこれ以上追及する積もりもないが、怪しめば怪しむに十分過ぎるではなかろうか。

 犯人の単独犯とされているが、本当にそうなのかどうか、怪しみ出したら怪しむべき点もいくつもあるということになる。

 これが仮に影の組織的な陰謀で、犯人は操られただけであるとする可能性もゼロではないが、もうそうなると普通の人の手に負えるものではなくなる。もしそれが事実とすれば、最早日本離れした出来事で、アメリカか何処かのの諜報機関でも絡んだ事件ということになるのかも知れない。

 疑問に思い出したらその可能性も捨てきれないが、万一そうであれば、最早、素人には踏み込めない裏の世界の出来事であり、多くは闇から闇に葬り去られるので、真実は一層掴み難いのが普通である。ただ、何年も、或いは何十年も経ってから、ひょっこり真実が判ることもあるので、庶民にとってはその時のお楽しみということにしておかなければ仕方がないのではなかろうか。