電車の網棚

 最近の電車の網棚は殆ど全て、網の棚ではなく、半透明のプラスチック板で出来た棚になっているが、昔は皆、太い丈夫な緑色の紐を編んだ文字通りの網棚であった。今では、長距離列車などは別として、郊外電車や都会の地下鉄などでは網棚はあまり利用されていないようである。 

 しかし、同じ網棚でも、時代によって使われ方は随分違うもので、今では考えることも出来ないような利用のされ方をしていたこともあるのである。人が網棚に登って、そこで寝ていたことが、戦後の混乱期の満員の国鉄(今のJR)では現実に見られた風景であった。

 戦後まだ間のない頃は列車の本数も少なく、運行もままならなかったところに、復員や、疎開からの復帰、食糧の買い出しなどで移動しなければならない人も多かった。荷物も送る手立てがないので、自分で運ぶよりなかった。従って、どの列車の車内も、人と荷物で溢れて超満員であった。二人用の椅子席も三人掛け、通路にも人が座り込むやら、大きな荷物が占拠するやらで、乗車口のデッキまで一杯で、自由に乗り降りさえ出来ず、窓から出入りする人も多い状態であった。 

 そんな時には、少しでも隙間があると、椅子の背中であろうと何処であろうと、人目も憚らず、誰かが占拠したものであった。網棚にも荷物の間に隙間を作って、そこへよじ登って、座ったり寝たりする人もいたのであった。

 こういう時代は別として、社会が一応落ち着き、その後の高度成長時代を経てから後の、近年における、主として郊外電車や地下鉄に限って見ても、網棚の利用のされ方は、時代とともに移り変わり、見ていると興味深いものである。

 長距離列車と違って、都会の電車の網棚はいつもフルに利用されているものではない。日本では座席に座っても、多くの人は荷物は膝に乗せるか、自分の横の座席の上に置く人が多い。立っている場合でも、荷物がひとつぐらいなら手に持つか、肩からぶら下げるぐらいで、網棚を利用するのは少し重い物か、荷物が二つ以上ある時に、重い方を網棚に乗せる人が多い。ただ、これまでの日本女性は脊の低い人が多かったせいもあり、荷物があっても椅子の上に置いたりして、網棚を利用する人は案外少なかった。

 ただ、日本人は上の物と下の物を区別する人が多いので、大きな荷物でも床に直に置くことを嫌い、隣の座席の上に置くか、人手を煩わしてでも、網棚にあげる傾向が強かった。しかし、最近のように大きな荷物が殆どコマ付きのキャリーバッグになると、床に置いたままとなり、近距離用電車で網棚を利用する人はますます少なくなったようである。

 前世紀の終わりぐらいまでは、郊外電車の網棚で一番多く乗せられていた物は、駅の売店で買ったスポーツ新聞や週刊誌であった。携帯電話やスマホが流行る前は、電車の中ではこれらが最もよく読まれており、それらの人達は大抵、読み終わったそれらを網棚に放り上げて、そのまま降りて行ったものである。それを次に乗って来た人が網棚から取って、また読むといった光景が良く見られたものであった。

 そんな時代が、かなり長く続いたような気がするが、今世紀になって、9.11.事件が起こり、以来あちこちでテロ事件などが起こるようになり、国内でも、おうむ事件などもあり、電車の中でも不審物が問題とされるようになり、「不審物を見かけたら、手を触れないで、すぐに車掌にご連絡下さい」と言うアナウンスが始終流されるようになるとともに、網棚に置かれた新聞などは、不審物と共に不要なものとして、取り除かれるようになり、網棚は殆どいつも空っぽの状態となった。・

 ちょうどその頃から、ケイタイやスマホが普及するようになり、やがて殆どの乗客が車内でスマホの見っぱなしになったことも、スポーツ誌や週刊誌が網棚から消えたことに関係があったのかも知れない。

 こうして網棚の利用は昔と比べると、ずいぶん減ってしまったようだが、網棚はやはりあると便利である。床には置きたくないし、立っていても持ち難いような物を一寸置くには便利な場所である。ただ問題は網棚へ置いたものはついうっかり忘れ勝ちである。

 荷物が二つあるような時に、一方だけを網棚に乗せた場合や、暑いからと思って車内で脱いだダウンコートなどを気軽に網棚へ乗せたりすると、降りる時に忘れ易い。急に思い立って降りるようになったりした時などには、ついうっかり忘れて降りることにもなり易い。

 私も何度か電車の網棚に物を忘れた経験がある。一番大きなものは外国旅行に行った帰りに、最後の阪急電車でリュックを網棚に乗せたまま、キャリーバッグだけ持って降りてしまったことがあった。すぐに気がついたが、もう電車は出た後だった。旅行の後で、大事な物も入っていたので、雲雀丘の遺失物取扱事務所まで取りに行かねばならなかった。

 それ以外にも、何度か物を網棚へ乗せて忘れて降りたこともあった。しかし、忘れたのではなくわざと網棚へ忘れていく人もあるようである。週刊誌やスポーツ新聞は忘れるのでなく、意識的に捨てていくようなものだが、ひと頃は遺骨を網棚に置き忘れていく人が問題になったことがある。

 葬儀を済ませて、お骨を引き取ったものの、納めるべき墓がない。お寺などへ納骨するにもお金が要るし、そうかといって親族の遺骨を捨てるわけにもいかない。困った人の中に、遺骨をわざと電車の網棚に起き忘れていく人があると報道されたことがあった。取得した電鉄会社も、お骨なので捨てるわけにもいかず、引き取り手が現れない場合には、お金を払ってでも、お寺なり、適当な場所に引き取って貰って、丁重に弔うのだそうである。確かにお金のかからない、うまい方法である。

  今はあまり利用されていないが、今の網棚の方が昔の文字通りの網棚より見えにくいので、余計に気が付きにくく、忘れたまま降りてしまう人も多いのではないかと思われる。電車に乗っていて、向かい側の席に乗って来た人が何かを網棚へ乗せると、つい自分のことのように降りる時に忘れていかないか気になることもあるものである。