聞き違え

 聞き違えは若い時でも誰しも経験したことがあるものである。約束の日時を聞き違えて、とんだ迷惑をかけて謝らなければならなかったり、注文を聞き違えられて思わぬものが提供されてびっくりしたりしたことのある人もいるであろう。

 ところが、歳をとると聴力が衰えて来るので、聞き違えも余計に起こりやすくなる。夫婦共に歳をとるので、九十歳を挟んだ夫婦ともなると、聞き違えも日常茶飯事となってくる。そうなると迷惑をかけるどころか、思わぬ傑作な聞き違えが起こったりして、かえって面白いものである。

 昨日は食卓で朝刊を見ながら私が「木枯らし一号が吹いたらしいな」と女房に言うと、「小林一三がどうしたって」と聞き返してきた。池田に住んでいるので、地元出身の阪急の創設者である小林一三のことだろうと聞き取ったらしい。なるほど「木枯らし一号」と「小林一三」は読めばよく似ている。おまけに、それをまた私は小林一族と聞き取っているのだから面白い。

 そう言えば、ついこの間も、娘が来て「四国の運動が健康に良いらしいよ」と言うので、私は知らなかったが、四国で何か特別な運動でもやっているのかなと思ったら、話の続きを聞いていると、「四股を踏む運動が健康に良い」という様なことをどこかで聞いてきて、その話をするところだったこともあった。なるほど、「四股を踏む」と「四国の」は似ている。

 こうした聞き間違えについては、歳をとって耳が悪くなるにつれて度々経験する様になったが、今は社会的に責任のある様な問答をすることも少なく、大抵は日常の家庭内や近隣での他愛もない会話などでのことなので、聞き間違いも聞き正せばすぐにわかることなので、聞き間違いを恐れることもない。

 そうなると、聞き間違いも楽しみにした方が面白い。大抵はその場限りですぐ忘れてしまうが、思い出せば、他にも「引き出物」が「吹き出物」になったり、「緩和ケア」が「棺桶屋」になったりと言ったこともあり、結構楽しいものである。