全てが経年変化

 定年後からずっと同じ家に住んでもう35年以上になる。親の住んでいた古い木造の家は老朽化し、冬には隙間風が入り寒かったので、引き継いだ時に思い切って建て直した家である。その新築の頃は当然全てが新鮮で気持ちが良かった。記念に芝庭の真ん中にダグウッドの木を植えた。

 昔アメリカに行った時に、ボスの家に見事な花をつけたダグウッドの木があり、そこで初めてダグウッドを知ったこともあり、我が家の象徴として新築記念に植えたものである。その木だけは植木屋さんにも触らせず、自由にのびのびと成長するにまかせた。

 木は期待に応えるように、すくすくと成長し、大きくなり、毎年桜に遅れて華々しく咲き、全盛期には、当時はまだ近在でダグウッドを見ることは少なかったこともあり、隣家の人にまで「楽しませて貰っている」と言われたぐらい、我が家の自慢の一つになっていた。五月の連休の終わりに、旅から帰った時にもまだ花が残っていた思い出もある。

 ところが35年も経つと盛りを越えて、あちこちの枝が枯れ、歪な形になっていたので、今年植木屋さんが来た時に、思い切って枯れた枝などを切って形を整えてもらった。ところが残りは何とこじんまりしてしまい、いかにも老殘の姿になってしまった。持ち主が九十五歳にもなれば、象徴の木もそれに合わせて縮んでしまったかの様である。

 そんな風に見れば、老残の姿を示しているのはダグウッドばかりではない。家の玄関の扉も取り替えてもらったし、門戸の扉も鍵がからなくなってしまっている。塀も薄汚れてきている。建物全体も古びてきて、新築の家とは比べ物にならない。

 ダグウッド以外の他の庭木についても、松は一日で枯れてしまったし、皐月も大きくなり過ぎて収まりが悪くなり、小さな枯山水も荒れて往時の面影を留めない。庭のの芝ばかりが元気が良過ぎて、石庭にまで侵食し、和室の濡れ縁も半ば朽ちている。小庭の灯籠も倒れたまま放置されている。

 部屋の中も蛍光灯は半分消えているし、居間のシャンデリアまがいの多電球の電灯も、半分ぐらい消えたままである。窓ガラスは埃まみれだし、柱時計はいつの間にか半刻も進んでいる。母のいた部屋はまるで倉庫と化してガラクタでいっぱいになっている。

 それでも建てた会社の35年目だかの検査では、電源や水回り、シロアリ対策ぐらいで、まだこのままで維持出来るそうである。

 持ち主が経年変化で老いさらばえてくれば、持ち家や庭もそれにつれてすべてが経年変化していくのは致し方ないであろう。それでも、最早ほぼ確実に、家よりもこちらの方が早くおさらばすることになるであろうから、それで良いのだろうと思っている。