五感の衰え

 先に「勝手ツンボ」として聴力の衰えたことを書いたが、衰えたのは聴力だけでなく、どうも五感全てが衰えてきている様である。 

 秋になってあちこちにまた木犀の花が咲き、場所によっては地面を真っ黄色に染めている。昔は花を見なくても、匂いで木犀のあることがわかったが、悲しいかな、今では木犀の木の下へ行っても、直接花に顔を近づけても匂わない。情けないことに、目で見て木犀の花が咲いていることを認識するだけである。

 道を歩いていても、昔なら鰻屋さんの前を通っただけでも美味しそうな匂いがして、つい店に入りたくなったものだったが、今では街を歩いてもそんな楽しみは無くなってしまった。 逆に昔から老人臭などと言われているが、こちらも自分では気が付いていないだけで、周りの人たちを辟易させているのではないかと気になる。香水でも利用した方が良いのかなあと思ったりもする。

 聴く方も先に書いたように次第に聞こえなくなってきている。テレビ音をは大きくしないと聴こえないし、女房と娘の会話などはすぐ隣にいても分からない。テレビもボリュームを上げなければ聴こえない。先日はあるところでたまたまカルタ取りをしたが、読む音が聞き取りにくく、母音がわかっても子音が聴き取れなくて「あ」なのか「は」なのか分からず、すぐ前の札まで他人に取られ、たった一枚しか取れないという哀れな結果であった。

 そんな時に最近補聴器を扱っている眼鏡屋さんが補聴器の相談に乗りますという広告を出していたので、行ってみた。親切に色々と聴力検査をしてくれて補聴器の説明をしてくれたが、外耳道に嵌め込む小さな物が片耳だけでも40万も50万もするという。

 以前に2〜3の医者の友達がこれ50万したとか言って見せびらかしていたが、そうかと言って、いつも利用している様子はなく、講演を聞く様な特別の時しか利用していないことを知っていたし、百歳まで生きたとしても後5年、それに耳に嵌め込むだけでは、ついうっかり落としてしまうこともあるのではないかと思って買うのをやめた。

 その代わり広告雑誌で見て、4〜5万の集音機なるものを買ったが、テレビは距離があってもよく聞こえる様になったが、食事中だと自分の咀嚼している音や水道の音などまで増幅されるので煩わしく、結局一時的にしか使っていない。

 視力の悪くなったことについても、これまでに書いてきたので省略するが、読みにくいだけでなく、読み違えや見違えが多くなった。

 この間は「どこでも安全のトイレ」と書かれているのでどんなトイレだろうと思ってみると「どこでも安定のトレイ」という広告だったし、また「トイレ体操」とあるので一体どういう体操かと思ってみると「脳トレ体操」と書いてあるのだった。

 見違えの方も必須と言っても良いぐらいで、道を歩いていても、家の前にてっきりお婆さんが立っていると思っていたら、門戸にポスターが貼ってあるだけだったりする。いつも通る道端にある郵便ポストは、いつも遠くから女性が立って歓迎してくれている様に見えていたりする。

 五感というからには、残りの味覚、触覚も当然衰えがきているのだろうが、味覚は元々味音痴で何でも食べれさえすれば良しとしてきたので、味覚の衰えを判定しようがない。触覚にいたっては、老人性掻痒で孫の手などのお世話にはなっているが、感覚が衰えているのかどうか自分ではわからない。

 それでも今は若い時のように五感をフルに活用しなければならない様なこともないので、それなりに何とか日頃の生活をこなして行けているので、これで良しとすべきであろう。