17歳の軍国少年の遺書

 もういつ頃だったかも忘れてしまったが、戦後間もない頃に書いた文章などの辛うじて残った残骸を見つけて、大切に奥深く仕舞い込んでいた。殆ど忘れかけていたが、最近思い出して、このままにしておくと、もう死ぬまで見ないことになってしまいそうだったので、一度見てみようと思い、先日探し出して、その一部を読んでみた。

 75年も前のことなので、殆ど記憶にも残っていなかったが、当時、まだ17歳で、敗戦までの4ヶ月間を過ごした、海軍兵学校から復員して、大阪へ戻ってから間のない頃に書いたと思われる「遺書」なるものも出たきた。

 軍国主義大日本帝国に生まれ、育ち、「忠君愛国」の純粋培養をされたような少年は、他の世界を知らず、まともに天皇や国家を信じ、天皇のために命を捧げようと心から思い、その道を一心不乱に進んでいたものだった。それが、8月15日の敗戦で突然進路を断たれてしまい、途方に暮れてしまったのであった。敗戦後も暫くは、死ぬまでまだ戦わねばと真剣に思っていたのである。

 以下がその文面である。漢字は常用漢字になっているが、その他は当時の貧弱な表現もそのまま 出来るだけ忠実に写したものである。

 

大東亜戦争開戦以来茲ニ四年有半、其ノ間、我軍ノ善謀、善戦ニモカカハラズ戦益々不利トナリ、而モ米ノ新型爆弾ハ其の残虐ヲ奮ヒ、ソビエット連邦又我国ニ宣戦ス。此ノ新事態ニ対シ、天皇陛下ハ恐レ多クモ、遂ニ連合国ニ対シ平和ヲ求メラレタリ。陛下ノ御心中御推察申上グルダニ畏キ極ミナリ。抑モ、カクノ如キ事態ニ立チ至リタルハ、実ニ我々国民ノ、否吾人ノ努力ノ足ラザリシ為ナリ。不忠此ノ上ナシ。吾人ノ怠慢ノ為、三千年ノ歴史ト伝統ヲ破壊セシナラン。陛下ニ対シ奉リ真ニ申訳ナシ。死シテ御詫ビ奉リテモ尚足ラズ。宜シク陛下ノ意ヲ体シ、一刻モ早ク米鬼ヲ撃滅シ国威を恢復シ、以テ陛下ニ御詫ビスベシ。若シ業途中ニテ斃ルルコトアルモ、魂魄は永久ニ米鬼ヲ撃タン。

我亡キ後モ、日本人タル者残ラズ国威恢復ニ努ムベシ。我死ストモ墓モ要ラズ、墓ハ国威恢復セシ暁ニ建テラレヨ 。吾人ノ屍、野ニ晒ストモ、山ニ晒ストモ、将又、水ニ漬カルトモ、我ハ断ジテ米鬼ヲ撃タン。

以上、簡単ナレドモ、我遺言ナリ。コレ以外ニ言フ事ナシ。天業恢弘

マデハ親モ思ハズ、兄弟モ思ハズ、タダ米鬼ヲ撃ツコトノミ。 

   君の為生まれ出たる我なれば

      君の為にぞ笑ひて散らん 

 

 こんな「遺書」まで書いていたことはすっかり忘れていたが、焼け野が原の大阪へ帰って、すっかり変わってしまった世界に投げ込まれ、バラバラにされて、相談する者もなく、何も出来ないままに、次第に絶望と虚無の世界に陥って行ったのであった。

 76年昔の話である。当時の切羽詰まった悲壮な心情や、その後の絶望的な虚無の世界は、今の若い人には必ずしもし理解して貰えないかも知れないが、こんな歪んだ惨めな歴史のあったことも知り、これを反面教師として、常に客観的に視野を広げ、批判的に物事を見て、戦争だけは何としても避けて欲しいものである。