サラリーマンの夏の制服

 何年か前に我が家の近くに500戸ぐらいはありそうな大きなマンションが出来た。そのおかげで北側の部屋の窓からいつも見えていた五月山の風景がすっかり見えなくなってしまったのが残念であるが、それはとにかく、毎日の朝5時過ぎの散歩の時に、そのマンションの前を通ると、もう早くから出勤する人がマンションからボツボツ出てくるのに出会う。

 こちらは目が悪いので、物を識別するのが難しいが、男性は決まったように真白なシャツに黒ズボンの姿が多い。最近はリュックを背負っている人も多い。初めは、てっきり学生かと思ったが、よく見ると皆いい歳をしたサラリーマンのようである。酷暑の夏に「朝早くからご苦労さん」と声をかけたくなるが、皆が揃って制服のように同じ格好をしているのが気になる。

 もう戦後に会社人間が一致協力して日本を復興させ、経済を盛り上げた時代ではない。三十年にも及ぶ経済の停滞の中で明るい展望も開けない。ここらで、もっと個性を生かし多様な新しい産業を育てて行かなければと言われているのに、日本人の排他的な同調性は一向に治らないようである。

 コロナのマスクについてもそう思ったが、服装ひとつ見ても、折角クールビズとかで夏のネクタイ背広姿が廃れ、カジュアルな服装が許容されるようになって来たのだから、皆一様な白いシャツに黒やネズミのズボンばかりではなく、もっと夏にあった色々な発想の服装があっても良いのではなかろうか。折角カラーのシャツが流行ったこともあるのだし、暑い季節なのだから、アロハとまではいかなくとも、涼しそうなカラーや模様入りのシャツなども考えられるのに、どうしてまるで学生の制服のように、皆が同じ白シャツに黒ズボン姿なのだろうか。

 皆がそうだから、同じような格好にしておいた方が無難だし、目立たないからということで、惰性でそういう風潮が治らないのであろうか。昔ドイツから来た青年が「日本には色がない」と言った時に「どうしてなのか。街中へ行けば、どぎついまでの派手な広告やネオンが溢れているのに」と思ったことがあったが、その青年の言ったのは、サラリーマンから学生まで皆が同じ様に黒と白の服を制服のように着ており、単色で色の無い人々の姿を指して言ったものであった。今もその頃とあまり変わっていないのではなかろうか。

 今後日本が発展を取り戻していくには、もう会社人間では古い。もっとそれぞれの個性を尊重し、多様性を重視して、他の文化も積極的に取り入れ、ユニークな発想を伸ばして行くことが必須かと思われるが、社会の根底にある日本人の同調性や排他性をどう変えていくかが問題なのではなかろうか。

 そう考えると、あのサラリーマンの制服のような白シャツに黒ズボン姿がいかにも日本人の同調性を象徴しているような気がして、果たしてこの国の将来は大丈夫なのだろうかと気になる。私の思い過ごしで、そんな心配はいらないのであれば良いが・・・。