「ママは昔、靴は、履いてた?」

 朝日新聞の土曜日B版の「いわせてもらおう」という投書欄に上のようなのが載っていた。

 子供が小学5年生だから、母親はおそらくまだ30代であろう。「ママは昔、靴は、履いてた?」と子供に聞かれて、自分らの時代に靴を履いていなかった人など考えられないので、靴を履かなかった人など遥か昔のことに思っていたので、びっくりしたのであろう。

 しかし、これを読んだ私は、世間の多くの人が靴ではなく、ことに女性は、下駄や草履を履くのが普通だった時代を生きて来たので、子供の疑問よりも母親の反応の方に興味があった。もう今の若いお母さん方は、靴を履くのは当たり前で、靴の代わりに下駄や草履を履くのが普通だったのは遥か昔のことだと思っているのだなあと驚かされた。

 日本で、下駄や草履を見かけるのが少なくなったのは、まだここ40〜50年ぐらいのことでしかない。それまでは、男でも、会社や仕事の行く時には靴を履いていても、家庭では靴より下駄や草履の方が多かった。

 90年ぐらい前ともなれば、私が子供の頃は日本はまだ貧しく、昭和4年の恐慌の影響もあったのであろうが、実際に私が目撃したことでも、鳥取県の海岸の村で、子供が連れ立って短い着物を着て、裸足で学校へ行くのを見たことがあった。

 日本が戦後になって、経済復興で高度成長していくより前は、戦争が終わった後でさえ、まだ女性は、都会の一部を除けば、殆どが着物姿で、下駄や草履を履いていたものである。

 男達は会社や工場で働く人は殆ど洋装で、シャツやズボン、上着などを着ていたが、家に帰ると、着替えて、着物と下駄や草履というのが多く、着替えなくとも、足元だけは下駄や草履の方が便利だというので、愛用されることが多かった。

 それに、会社や役所の事務職の人でも、出勤時には靴を履いて来ても、会社や事務所に着くとスリッパや草履に履き替え、その方が楽だとか、靴は蒸れて水虫になるとか言っている人も多かった。

 我々が通った旧制度の高等学校では、制服は黒の詰襟の学生服であったが、冬はその上に悪魔が着るようなマントを羽織り、足元は高下駄を履くのが制服のようなものであった。

 従って靴はまだ他所行き用で、普段は下駄履きという生活が多かった。今では下駄屋さんは殆ど消えてしまったが、当時は下駄屋の方が靴屋よりはるかに多く、何処にでもあったものである。

 下駄の刃直し、消えた鼻緒の修繕なども日常茶飯事で、鼻緒が切れて困っている女性を見て、自分のハンカチを破って修繕したのが縁で、二人が結ばれるというようなロマンチックな話もあったのである。カランコロンといった下駄履きの音に、今も郷愁を感じるのは私だけであろうか。