アメリカの第一印象

 アメリカまで船で行ったことを書いたが、その時のアメリカへ初上陸した時の第一印象を付け加えておきたい。1961年のことで、まだまだ日本は戦争に負けた三等国で、戦勝国アメリカは燦然と輝く超大国であった。

 当時はまだ日本からアメリカへ行く人もそれ程多くなく、私は横浜の港でさえ、中国人と間違えられたし、サンフランシスコの空港では、「フイリピンから来たのか」と尋ねられた時代であった。

 アメリカへついて先ず驚かされたのは、何もかも、すべてのものが日本と比べて大きいことであった。もちろんアメリカという国は面積も大きければ、経済力も軍事力も当時の日本とは比べ物にならない大きさだったが、それだけではない。

 人間の身長も高ければ体重も重い。街の通りも広く大きいし、どの建物も大きかった。街を走っている車も、50年代の尻尾をピンと張り上げたような大きな車ばかりであった。家の中の机や家具も大きい。冷蔵庫や洗濯機も日本より一回り大きい。おまけに、西瓜や茄子まで日本のものより大きいのにはびっくりした。街角で売っているコーヒーやジュースのカップまで大きい。大きいもの尽くしで、圧倒されて、島国と違って大陸であれば、何でも大きくなければならないのかとさえ思わされた。

 もう一つ驚かされたのが、多様性である。当時の日本では人々の服装を見ても、今よりもっと一様で、四季の衣替えの伝統も守られていた。当時の日本では、まだ学生たちは、小学生から大学生に至るまでほとんど皆制服姿だったし、社会人も制服か、同じような背広姿がほとんどで、6月と10月の初めには一斉に衣替えが行われ、皆同じような服装をしていた。もっと後のことになるが、ドイツからやってきた知人が日本には服装に色がないと言ったことがあったことでも分かる。

 ところが、初めて着いたサンフランシスコの街を歩いて驚かされたのは、人たちのあまりにも多様過ぎる姿であった。背の高い人や低い人、太っている人や痩せている人、白人や黒人、アジア人など、当時の日本では、考えられなかった多様な人々が一緒に街を歩いていた。

 昔見たアメリカの漫画などで、大きな人と小さな人、太った人と痩せた人などのコンビを見て、漫画だから強調して描かれているのだとばかり思っていたが、決して空想上の組み合わせではなく、現実であることを見せつけられて驚いた。

 ちょうど5月の初め頃であったが、服装も多様で、色も様々、年寄った夫人が真っ赤なジャケットを着ているのに驚いたら、毛皮のついたコートを着た夫人のすぐ隣を、まるで水着のような薄着の女性が歩いているのには度肝を抜かれたので、今でもはっきり覚えている。今でこそ、日本でも服装のばらつきは大きくなったが、当時には日本では考えられない光景であった。

 もう半世紀以上も前のことになるので、今の人たちには想像出来ないかも知れないが、当時のアメリカはまだ遠い遠い国であり、全ての点で日本とアメリカの違いは今より遥かに大きかった。まだテレビもない頃で、ニューヨークの摩天楼を初めて眺めた時の印象が絵葉書と一諸だと思ったことが忘れられない。