アメリカ領事館でのひと時

 古くから家族ぐるみの付き合いのあった女房の友人が亡くなられた。いろいろ広く活躍されておられた方だったが、ニューヨークに不動産を持っておられ、その遺産相続の遺言の証人に、たまたま私たち夫婦がなっていた。

 そんな関係で、国を跨いだ相続の手続きに、大阪のアメリカ領事館で証人の確認をサインする必要があるとかで、その夫と娘さんと4人で領事館まで出かけた。

 梅田新道の少し南にある領事館は前を通る度に、いつも大型の警察車が止まっているのが目についていたが、実際に行ってみると、思いの外の警備の厳重さに驚かされた。

 ちょうど領事館前に着いた時には、2台の機動隊の車が停まったところで、中から何が入っているのかわからないが、20〜30個もある大きな黒いリュックの様なものを下ろして、機動隊員が小分けして運んでいるところであった。

 その警察車が領事館の正面の車道を塞ぎ、その内側の歩道と領事館の敷地の境にはロープ が張られ、その開口部の真正面と両側には、長い警棒を構えた警察官が立番をしている。

 領事館の建物はその奥の歩道から2〜3段上がった広場の奥にあるのだが、その入り口は大きな建物なのに、人一人がようやく通れるぐらいの狭いドアが二つ閉まって並んでいるだけである。

 その上、ロープの中の広場には警察官とは違い、白い上着の制服を着て、腰から少し長めの警棒を吊るした人達が2~3人、建物に出たり入ったりし、広場でも何かしている。こちらはどうも領事館の警備員の様である。やって来た人たちに、約束の時間を聞いて案内したりもしている。

 いくらか早く着いたが、時間まで待てと言われて、歩道で待つこと15分。ようやく時間が来たが、予約票に娘さんの名前しかないので、他の3人は入れて貰えず、更に外で待たされる。娘さんが入って、手続きをして15分ぐらい待ってやっと入れて貰えることとなった。

 と言っても、その前に、外で携帯電話の電源を切らされ、それを小さな籠に入れて持参、漸く狭いドアから一人づつ中に入る。入ると、先ずは空港などと同じ感知装置のゲートを潜り、次いで、持ち物のX線検査。鍵と小銭入れの硬貨が引っかかり、やり直して、すぐ横のエレベータに乗って4階に上がて、やっと目的地に着いた。

 警備の厳重なことに驚かされた。テロ対策なのであろうが、他の国の領事館などは、どこもここまで厳重ではないだろう。ビルの中の一部を借りている国のもあるし、領事館でその国のPRの催し等をしている所もある。このアメリカ領事館も、昔はもっとオープンで、資料の検索などにも広く利用されていたと思うが、世知辛い世の中になったものである。

 4階でエレベータを降りると、小さな広場になっており、奥に三つ窓口があり、それぞれにChck InとInterviewとPaymentと書かれ、Check Inの窓口には何人かの行列が出来ていた。ここでも、職員のいる窓口の中と外は厳重に隔離されており、通路は厳重にロックされている。書類のやり取りも、全て窓口のガラスの下のスペースを滑らせてする様になっており、窓口以外の連絡はマイクだけである。

 ビザを貰うだけの様な簡単な手続きだけの人たちは別のフロアで処理している様なので、この4階に来た人たちはそれぞれに色々な要件で来ている様であった。小さな子供を連れた家族が多く、いつもそうだと見えて、子供が遊べるようなスポンジで出来たブロックを組み合わせてようなものが真ん中に置かれていた。

 興味を惹かれたのは、家族連れが3〜4組見られたが、どの家族も女性の方は全て日本人で、男性はアメリカ人ばかりの構成だったことであった。どの来訪者もそれぞれに、多様な要件らしく、ぽつぽつと順不同に呼ばれるのを待って、退屈しながら順番を待っている様であった。来訪者同士が子供の仲介で、仲良く会話を交わしているような場面もあった。

 家族連れ以外にも夫婦連れもいたし、男性単独の人たちもいた。皆それぞれに用件も違うのか、呼ばれる時間も色々だし、仕事がらみで、何からちがあかないのか文句を言っている人もいた。それぞれの問題に、それぞれに対処するためにやってきている人たちばかりで、それぞれの人生模様の一面を見る様で、興味深く観察させてもらった。

 大分待たされた挙句やっと呼ばれたと思ったら、先ずはお金を払うことであった。それから更に時間が経って、ようやく領事か、そのアシスタントかとの窓ガラス越しのインタービューで、4人がサインしてやっと全てが終わった時には、もう昼休みの時間になっていた。

 長い半日であったが、コロナで単調な日々の続く中で、珍しい体験をさせてもらった貴重な機会となったことを感謝している。