こどもの頃の東京の友だち

 小学校4年と5年の二年間は、東京に住んでいた。父が勤めていた大阪の銀行が、初めて東京に支店を開き、そこに転勤になったので、家族揃って東京へ移ったのであった。当時は、もう日中戦争支那事変)は始まっていたが、国内はまだ平和で、昭和初めの不況を乗り越えて、色々な問題を抱えつつも、東洋の覇者としての大日本帝国の発展段階であった。

 親も東京への栄転ということで、上昇志向の時期だったのであろう。東京での新たな生活のため、居所は子供の教育環境を優先して考えたようで、我々小学生は評判の高かった芝区の白金小学校に入れるべく、学校のすぐ近くの白金今里町に決め、姉を四谷にあった雙葉高等女学校へ、兄を暁星中学へといずれもハイクラスの学校に入れた。

 東京に行く時に、東京は大阪とは違って首都で、偉い人も金持ちの人も沢山いるので大阪のようには行かないかも知れないぞと言われていたが、幸い学校にもすぐに慣れて、友達も出来て、楽しい二年間を過ごすことが出来た。

 しかし、周囲の環境はそれまでの大阪の郊外の箕面とは違って、街の真ん中で暮らすこととなった。学校も鉄筋コンクリートの校舎が学校の敷地の周囲を取り囲まれるように建っており、真ん中に運動場があったが、校庭は全てアスファルトだったか、コンクリートだったかに覆われ、何処にも地面がそのまま露出している所がなかった。

 その上、びっくりさせれられたのは、昼食時間になると学校の中に、近くのパン屋さんの出張販売所が出来、そこで昼食にパンを買って食べる子の多かったことであった。

 それはともかく、それまでとの一番の違いは、さすが東京であり、周囲に大阪では見たこともないような大きな屋敷があちこちにあることであった。学校の近くには、久原房之助という人の屋敷があり、坂を上がった向こうには東大の伝染病研究所の茶色い多くな建物が見えた。

 しばらくして、一家は学校の近くの白金から目蒲線の洗足に引っ越し、目蒲線で目黒まで出て、そこからバスに乗ったり、歩いたりして学校へ通うようになったが、その途中には藤原銀次郎の鬱蒼とした樹の茂っ屋敷や、今の庭園美術館である朝香宮邸などもあった。時々行った品川から白金に戻る途中には、北白川宮をはじめ宮家の広大な屋敷が続いている前を通った。

 学校のクラスメートにも金持ちの子が多く、大きな家に住んでいた。成毛仁吉君といって、皇室でしか使わない仁の字が名前についていることを自慢していた友達がいた。父親が何をしていた人なのかは知らなかったが、べらぼうな金持ちで、当時、何かの記念に、陸軍と海軍に戦闘機を一機づつ寄付をしたということがあった。今の麻生高校にも成毛講堂と名のつくものがあったそうである。

 家に遊びに言ったことがあるが、広い敷地に建てられた立派な鉄筋コンクリート建ての邸宅で、二階の部屋の窓から眺める広い庭のには池があり、鯉が泳いでいた。そして、何より驚いたのは、部屋の窓には、当時まだ珍しかった自動のシャッターが備わっており、実演してくれたが、ボタン一つ押せば静かにシャーターが降りてくるという仕組みには「ほう」と言ってびっくりするよりなかった。

 ただ子ども心にも、金持ちはここ迄するかと思わせられたのは、その友達の家庭教師というのが、我々の小学校の、それも担任の先生であったことであった。

 また別の友達は、坂東君と言って、親が何をしていたのかは知らなかったが、成金だという噂で、自分の家が近くに住んでいた、当時の大蔵大臣の家より広いことを自慢していた。家に初めて遊びに言った時に驚いたのは、初めに若い女中が出てきて、その取次で奥女中が後を引き受け、奥女中の首実検が済んで初めて家に入ることを許されたことであった。

 その友達とはよくあちこちへ行って一緒に遊んだが、忘れられないのは、その友達と小学生の子供二人だけで、当時、円タクと言われていたタクシーに乗って何処かへ行ったことである。

 また、植村耕三君という友人とは仲が良かったので、席替えの時に隣同士にしてくれと先生に頼んだが、よく出来る子が二人並ぶのは良くないと断られたことがあった。彼の家は目蒲線武蔵小山だったのでよく一緒に帰ったが、家に遊びに行くと、大きな芝生の庭があり、驚いたのはその周囲の大きな樹々が単に一列に並んで取り囲んでいるのではなく、まるで林のように奥深く続いていることであった。

 当時はまだ大阪の力も強く、新しい内閣が出来ると、必ず閣僚が揃って大阪の財界と顔合わせに来て、伊勢神宮にお参りして帰るのがならわしであったが、やはり東京は首都であり、宮城(皇居)や天皇がより身近に感じられ、大阪との文化の違いを感じさせられた二年間であった。

 当時覚えた東京市歌が懐かしいので最後に記しておく。

 一、

紫匂むらさきにおいし 武蔵むさし野辺のべ
日本にほん文化ぶんかはなさきみだ
月影入つきかげいるべき やまもなき
むかし広野ひろの面影おもかげいずこ

二、

高閣たかどのはるかに つらなりそびえ
みやこのどよみは うずまきひびく
帝座みくらのもとなる 大東京だいとうきょう
ちからつよきをよや

三、

大東京だいとうきょうこそ むところ
千代田ちよだ宮居みやい我等われらほこ
ちからわせて いざとも
我等われらみやこかがやえん