我が家の北側の窓を開ければ、道路を行った先の、阪急電車の線路の向こうに五月山が見えていた。季節による山肌の移り変わりや、天候による変化が、秘かな心の癒しを与えてくれていたものであった。
その手前には、昔は阪急の線路の向こう側に、かなり広い電車の車庫があったのだが、いつの頃からかそこがゴルフの打ちっぱなし練習場になり、駅の西側には、ゴルフバックを担いだ人や、それらしき格好をした人たちの行き来が見られていたものであった。
ところが数年前であろうか、そのゴルフ場がなくなり、跡地に大きなマンションと分譲住宅が建てられ、そのマンションに遮られて、我が家からは五月山がすっかり見えなくなってしまった。
今では、北の窓を開ければ、ミニチュアのように見える阪急電車が走って行くすぐ後ろに、14〜5階建ての横幅の広いマンションがどかっと居座わり、無数の窓が並んでいる。朝夕に、窓を開けたり閉めたりする時に、毎日のように、嫌でも近くの景色とともに丁度視線の突き当たりに位置するマンションに並んだ窓を見ることになる。
土曜日の夜などに見ると、マンションの殆ど全ての窓に灯りがともっている。住民達が皆家で寛いで、リラックスした週末を過ごし、束の間の一家団欒を楽しみ、夕飯でも食べているのであろうかと想像したりする。それぞれの家によって違うのであろうが、中の様子が見て取れるような感じがして、こちらまでが何かホッとした感じになる。
反対に、真夜中でマンションの建物がすっかり暗黒の闇に沈んでいるのに、一、二軒だけに、ポツリと灯りがついていたりすると、誰かが徹夜で勉強しているのか、あるいは夜なべ仕事でもしているのだろうかと想像し、頑張れよと言いたくなる。
また、こちらが歳をとって早起きなので、まだ明けやらぬ深夜か早朝に覗いてみることもあるが、そんな時に、一軒にだけ灯りがついていたりすると、何か急変でも起こったのかと思ったり、毎晩続いて同じあたりの窓に、同じように灯りがついていたりすると、交代勤務か何かで早出で、もう起きて朝飯でも食べているのだろうかと想像したりすることにもなる。
いつものように眺めていると、他が真っ暗な夜中でも、10階あたりに1軒、いつ見ても電気がついている家がある。ひょっとすると電気をつけたままで寝る習慣になっているのであろうか。
こうして、毎晩のように眺めるともなく眺めてていると、定かではないが、大体、同じようなパターンで、電気のついている家や、ついていない家があり、いろいろな生活パターンが想像出来て興味深い。
山が見えなくなったのは残念であるが、マンションの窓も眺めているうちに、昔見た「裏窓」というニューヨークのマンションの裏窓を覗くヒッチコックの映画を思い出したりして、いろいろな人生を想像させてくれる。山が見えなくなった今は、無数とも言えるマンションの、窓の明かりの変化を楽しませて貰っている。