映画「Living 生きる」

 黒澤明の映画「生きる」のリメイクの映画が、イシグロ・カズオの脚本で、イギリスで作られたと言う情報を得てから、「生きる」の思い出が強いばかりに、ぜひ見てみたいものだと待っていた。脚本が何やら賞も貰ったようである。どんな作品になったのか、梅田で上映されると言う広告を見て、早速見に行った。

 舞台は1950年代のイギリスである。映画は、何処かの都市の官庁へ勤める公務員たちが、まだ汽車で一緒に出勤するところから始まる。未だその頃は、イギリスの公務員たちは、皆揃って昔ながらのEnglish Gentlemanといった、背広にシルクハットの出立ちで、階級制度の名残も強く、途中の駅で乗ってくる上司に対しては皆が挨拶し、皆が同じ座席に隣合って座って行く姿にまず驚かされる。

 次いで、役所内の風景。課長を中心に、各自がそれぞれ自分の席に座り、うず高く積まれた書類の中で各自が仕事をこなすが、課長からの指示があったり、同僚間の打ち合わせがあったりする。課長が声をかければ、皆が一斉に自分の仕事を止めて立ち上がり、課長について行動するなど、役所内の様子も日本と同じようなものだったのだなと思わせる。

 そんんな日常の中で、婦人団体からの公園整備の要望が上がってくるのだが、それに対しては、それは公園課だ、市民課だなどと、日本と同じ「たらい回し」で拉致があかない。

 そう言う状況の中で、課長役であるこの映画の主人公が、ビル・ナイという名優らしいが、日本のかっての笠智衆によく似た俳優で、彼同様に控えめで渋いなかなかの名演技で、歳をとった主人公を上手く演じていた。 

 原作の主人公は志村喬であったが、その演技を思い出さされた。この主人公も、奥さんには早く死に別れ、息子夫婦と同居している。ところが医師の診断で、病気はガンで、後9ヶ月しか生きられないと宣告される、大筋のストーリーも日本の「生きる」と同じである。

 動揺した彼は、これまで生きて来た過去を振り返り、残された人生を如何に過ごすか悩み、貯金を引き出し、仕事を休んで、歓楽街に繰り出したりするものの、それでは満たされず、結局、最後は職場に復帰して、部下を引き連れて、懸案になっていた公園の整備をするべく、各関連課を廻って邁進する。断られても断られても、座り込んで粘り、天気も構わず、一途に公園の整備に邁進し、とうとう整備を完成させて死んでしまうという、原作にほぼ忠実なストーリーになっている。

 これまでにも、時々見られたリメイクものは大抵原作のイメージを壊し、ガッカリさせられるものが多かった気がするが、本作は脚本の良さもあってか、見終わった後の感想も良く、決して原作の「生きる」のイメージを壊すようなものではなかった。原作にはない若い女性の課員を取り入れたのも良かった。それなりに、死を自覚した主人公の行動に花を添え、若い世代にも「生きる」を受け継ぐ役割を果たしていた。

 黒澤明の「生きる」を見た人が、このイシグロ・カズオ脚本の「生きる・Living」を見ても、きっと満足してもらえるのではないかと思,われた。

 黒澤の「生きる」の最後に志村喬が出来上がった夜の公園でブランコに乗って歌った「ごんどらの歌」も忘れられないが、この映画の音楽もスコットランドの民謡調の淡い郷愁を誘うようなものを感じさせられて良かった。

 ただ、ブランコが原作同様に出てくるのだが、ブランコが揺れているのを、高所から見下ろした明るく幾何学的な映像で捉えた部分は、映画を通しての他の映像が優れていただけに、場違いなカットの挿入で、いただけなかった。

 原作の黒澤明の「生きる」を見た人も、見ていない人も、きっと喜んでもらえる映画だと思う。