パンプキンの想い

 

 女房が友人からパンプキンを貰ってきた。スープにすると良いとかであったが、細長いパンプキンには根本の所に小さな傷のような印がついており、その模様が面白そうなので、これはきっと私が喜ぶだろうと思って、貰ってきたそうである。

 確かに、根本近くに何か茶色い傷跡のようなものが2〜3ついており、よく見ると何か動物のようにも見える。私がこれまで、道端で見つけた半ば剥げ落ちた白線や、敷石、何処かで見かけた岩や壁のシミなど、主として崩れ行く姿などが作る人の形などを見ては、写真に撮って発表したりして来ているので、女房が気を利かせて貰って来てくれたものである。

 もう写真のグループも解散し、歳も取り、コロナの影響もあって、発表の機会もなくなっているが、折角貰ったパンプキンなので、食べる前に見せて貰い、動物のように見えるシミの模様などをカメラに収めた。それが上に掲げた写真である。

 パンプキンをじっと眺めていると、パンプキンは何も言わないが、静かな沈黙の中で、これら模様を通じて、何かの想いを訴えかけているような気もしてくる。

 動物らしきものは、どういう動物か分からないが、むしろ架空のものであろう。パンプキンの精であろうか。根っこの部分も、人が胸に手を当てた上半身像にも見えるし、もう一つも女性の座像に見えなくもない。

 こんなのを見つけると、つい写真の対象にしてしまいたくなるのである。子供の頃からの「てんご」の続きである。アートに繋がるものであっても、技術を伴うものではないので、アートとは言えず、プレアートと読んでいる。

 こんなことが出来るのも歳をとったおかげである。これも老後の楽しみの一つである。