近くの神社

 自宅の近くに呉服(くれは)神社という神社がある。条理のように並んだ道筋の中に一本だけ斜めの道があって、その終点が神社になっている。昔は広い田圃の中の鎮守の森といった格好だったのであろうが、もう明治時代に田圃が埋めめられて、宅地造成がなされ、今ではすっかり住宅に囲まれてしまっている。神社はの森も僅かに名残を残しているが、神域も狭くなり、今ではあまり目立たなくなってしまっている。

 戦後は御多分に洩れず、他の神社同様寂れかけた時期もあったが、近年はまた元気を取り戻してきたのか、初詣などでは、道路に溢れてまで参詣客が長い行列を作るし。十日恵比寿には出店が駅まで続き、道一杯に人が溢れている。それらの他にも、季節に応じて、茅の輪潜りや七五三詣などでも人を集め、幼稚園児のお神輿行列なども行われているようである。

 また、近年一般に神社にお参りする人も増えたのか、平素でも氏子や近隣の人達なのであろうか、お参りする人もボツボツ見かける。通りがかりの人も、神社に通じる斜めの道の入り口で立ち止まり、神社に向かって一礼してから通り過ぎる人も多い。たまたま、私がそこらを通ると、神社を背にしているこちらに向かって頭を下げているので、まるで私が拝まれているような格好になることもある。

 何せ、私のような無神論者には分からないが、日本人の神社に対する行動規範は特有である。神社を深く敬って心からの信仰でお祈りするというものではなく、周囲の人が皆するから、それに合わせておいた方が無難であろうとでも言った感じで行動している人が多い様である。お参りする時も、現実の成功祈願や厄払いなどと言った実利の願望で、昔からの様式を真似て、周りの人と似たような仕草をしているだけのように見える。

 神社にお参りに行く時も、昔ながらの様式を守って、鳥居をくぐって一礼し、拝殿で二礼二拍一礼礼で拝み、鳥居を潜って神社を出る前にもう一度礼をするのが普通のお参りの仕方のようである。それ以外にも、神社の前を通る時には、神社へ入らなくとも一礼して通ったり、神社の近くを通る時にも神社に向かって頭を下げる人もいる。

 それらの行動の違いは、どうも信心の深さとは関係なく、何処かで覚えた仕来たりのようなもので、単に習慣としてしているに過ぎない人が多いような気がする。深い信仰心から、真剣にお祈りしているような人は先ず見ない。いるのは、合格祈願のような実利の願い事で、殆どは習慣として深い考えもなく、反射的に頭を下げて挨拶しているようなものではなかろうか。

 一神教のように絶対の神に命をかけてお祈りをするような宗教は恐ろしいが、このような日本人の神や仏に対する関係はどのように評したら良いものであろうか。信仰というより、周囲の人たちに同調し」ているだけのような気がしてならない。