呆けたのかな?

 昨年末のある日の夕食前後のことだった。それまで2階でパソコンをいじっていたが、そろそろ夕食の時間だろうと思って仕事を終え、パソコンをを閉じて階下へ降りた。リビングに入ると、女房が夕刊を渡してくれたが、もう夕食の準備が出来ていたので、そのまま夕刊をダイニングテーブルの端に置いて夕食を取った。

 夕食が終わって、みかんを食べながら、夕刊を読み、テレビでも見てゆっくり寛ごうとして隣のリビングに移り、「こたつ」に入った。そこで、おもむろに新聞を拡げたところ、昨日の夕刊ではないか。取り間違えたかなと思い、立ち上がって、ダイニングに戻ったが、その日の夕刊がない。

 女房が「二階へ持って行ったのじゃないか」と言う。下へ降りて来て、食事の前に渡されたのだから、二階へ持って行ったはずがない。再度ダイニングテーブルの上に置かれた新聞を見ても、その日の朝刊はあるが、さっき貰ったはずの夕刊はどう探しても見当たらない。

 女房はてっきり、私が呆けて忘れてしまっているだけで、二階へ持って上がったのではないかと疑っているようで、わざわざ二階まで探しに行った。私は私で、ひょっとしたら女房が夕刊を取りに行ったことを忘れるか、日にちを間違えて、昨日の夕刊を今日の夕刊と思って渡したのかも、などと想像したりした。

 お互いもうよい年なので、少々呆けていても不思議はない。夕刊を受け取った時に確かめていないので何とも言えないが、先に受け取った夕刊が本当に今日のものだったのか昨日のものだったかは確かでない。兎に角、どう探しても今日の夕刊は見当たらない。

 諦めかけていた時に、ふとダイニングテーブルの下を見ると、暗い影の中に新聞が落ちているではないか。それが今日の夕刊であった。

 話はそれで終わり。何と言うこともなかったのだけれども、女房は私が呆けて新聞を二階へ持って上がったことを忘れてしまっているのではないかと疑い、私は女房が夕刊を取りに行ったことを忘れて、今日の夕刊と昨日の夕刊を間違えているのではないかと疑ったわけである。

 ともにこの歳になると、実際に疑った様なことが起こっていたとしても不思議ではない。ただ、どちらも自分は確かで、相手の方が呆けたのではないかと不安に思ったことが面白い。歳をとって他人は呆けても、自分は確かだと思いたいのであろうか。

 何でもないごく一刻の出来事であったが興味深く感じられた。