今日も、もうすでに散逸したしまったクラス会の残りの取りまとめをしてくれている友人からの知らせで、親しかった友人三人の死亡の知らせを受け取った。百人いたクラスメートも、今でも生き残っているのは何人位だろうか。
最後のクラス会は二十人足らずの集まりだったが、それからもう三年以上経つ。コロナが流行ったこともあって、もう集まる機会もないが、それから後でも、もう数人が鬼籍に入ってしまっている。私の子供の頃からの親友たちも、もう一人も残っていない。益々寂しくなるばかりである。
皆がもう九十歳を超えているのだから、自然の成り行きなのであろうが、この世の「儚なさ」を感じさせられざるを得ない。国の運命、社会の歴史などを見ても、世の儚さを感じさせられるが、現実に共に生き、共にいろいろ付き合いのあった友人たちが死んでいくと、最早、顔を合わすことも、お互いに話すことも出来なくなって、嫌でも人生の儚さを実感させられる。
歳をとると、若い時には縁のなかった新聞や情報誌の死亡欄も、つい先に目が行き易いものだが、誰それの死亡を知らされる毎に、時が経ち、時代が変わっていくことを感じさせられたものである。医師会関係の情報誌などでは、死亡欄の旧知の人たち知らせを見ては「あいつもこいつも死によったか」とかっての交流などを思い出して哀惜の情に駆られることになる。ところが、近頃では、死亡欄の名前を見ても、殆どが最早次の世代の人達ばかりとなってしまっている。
こちらがもう多少生き過ぎたかなと感じさせられる。父が九十四歳で死亡した時、もう殆んどの友人が先に死んでいなくなっていて、寂しい葬式だったので、友人たちに「あいつも死によったか」と言われるうちに死ぬのが良いなと言っていたものだったが、どうも私は死に損なってしまったようである。
人生は所詮儚いものである。地球の悠久の歴史の中で、人類の歴史自体が限られた時間の中での過程に過ぎず、全ては始まりがあれば終わりがあるもので、どんな事象も生命も、それぞれ一刻の出現から消滅に至る過程に過ぎないが、その中での人生の何と儚く短いことであろうか。
成功したり失敗したり、喜んだり悲しんだり、その瞬間は絶対に思えたものも、終わってみれば一瞬の夢に過ぎない。以前から蟻の行列や働きを見る度に、人間の歴史と重ね合わせてその儚さを感じさせられていたが、誰しも大きな地球の歴史の中では、個々の人々の一生もそれと差して変わらないのではなかろうか。
その中でも、それなりの一生の運命を全う出来る場合もあれば、運悪く途中で思わぬ悲劇に出喰わすこともある。いつも思い出す光景は、ある夏の日に見た脱皮にしくじって半分殻から身を乗り出したまま死に絶えていた蝉の姿である。長い間の地中生活を終えて、やっと地上に出て来て、これから蝉になって最後の華を咲かせようという時に、脱皮の途中で息絶えてしまった蝉のような運命もあるのである。
全ての者が平均的な普通の道を行けるわけではない。人も病や事故で死ぬ者も多い。色々な運命に遭遇して、ある者は長く生き、ある者は途中で息絶える。しかし、種全体としてはそうした犠牲を払いながら生き続けているのである。人類を含め、あらゆる種の生き物もいつかは栄え、いつかは滅んでいくのである。
それが自然の掟であり。自然のある限り全ての種も、全ての人類もある限られた期間を生きているに過ぎない。それが「儚い」ということであろう。最後にオチをつければ、「儚い」人生なので、私は「墓は無い」ことにしている。