卒寿翁の年賀状

 卒寿も過ぎれば、年賀状も年と共に減ってくる。近所のお米屋さんが郵便を扱っており、例年11月になると「今年は何枚のしましょう」と聞いてくれていたが、年と共に枚数が減り、何かお米屋さんに悪いような気がしていたが、昨年からお米屋さんがもう郵便の取り扱いをやめたので、今年は近くの郵便局で求めた。

 仕事を辞めてもう長くなるので、仕事関係の賀状が減るのは当然だが、九十歳代ともなれば友人、知人たちも多くが既にあの世に行ってしまい、アイウエオ順の名簿を見ても、殆どのページが上から下まで黒線で塗りつぶされていて、間に孤島のように残された名前が飛び飛びに見られるだけになってしまっている。全員が抹消されているページも増えるばかりである。

 出す賀状が減れば当然来る賀状も減る。例年、年末に喪中の挨拶が来るが、それも昔なら親とか年長者の喪だったのが、近年は連れ合いだったり、兄弟だったりが多くなり、間には本人の死を家族が知らせてくれるものもある。歳をとって年賀の挨拶をやめた人も何人かいる。

 正月に受け取った賀状も、普通の賀状も沢山あるが、息子さんの代筆のものや、息子の名前の横に小さく添えられているだけのものも見られる。施設に入ったも者もいるし、消息のわからなくなってしまった人もいる。元気な友人で、「お互いに少し歳を取りすぎたようだ」と書いてきた者もいる。ただ、もうてっきりあの世へ行ってしまったのではないかと思っていた人からの賀状は嬉しかった。娘さんと併記されていたので、やはり実態は心配だが、まだ生きていてくれたのかと少し安堵した。

 少し若い友人や知人からの頼りでは、仕事を辞めただの、役職を退いたなどの知らせが多かったが、七十五歳まだ頑張るぞとか、趣味のことなど羨ましい元気な姿を知らせてくれたものも多かった。

 もう少し若い人たちからの賀状では、昔、仲人をしたカプルの子供がもう三十三歳になったとか、なかなか子供に恵まれず、人工出産を希望したので産科医に紹介した後に生まれた子がもう成人したという知らせ、この間、生まれたばかりと思っていた子供がもう小学校へ行く等など、こちらの思いより遥かに早く年月は経っていくようである。

 スマホやパソコンの時代と共の年賀状が次第に姿をひそめ、デジタルの方に賀状も移って行っているそうだが、始終やりとりのある仲間内ならそれでも良いが、殆ど年に一度だけの、遠くからの賀状には捨て難い懐かしさや楽しみがあるものである。細々とになっても何とか続いて欲しいものである。