はかない人生

 九十歳も過ぎると周囲の友達は皆死んでしまって、気軽に馬鹿話を話し合ったりする友達もいなくなる。尊敬していた先輩も、嫌いだった人たちも、少し下のうまのあった後輩までが、皆死んでしまって、今や過去の思い出しか残っていない。こればかりはどうにも仕方がない。

 社会的に有名だった人も、死んだら次第に忘れられていく。歴史上の人物も、物語などが作られて、その中で生き返えらない限り、もうその時代に逆戻りすることは出来ない。成功した人生も、失敗だった人生も全て終わってしまって、やがて忘れられていく。

 人生とは儚いものである。人類の運命は、ある時、たまたま此の世に生まれ、ある期間生存し、また死んで消えていく過程の繰り返しである。百年も生きた人は稀で、死ねば無になり、やがて忘れられていく。続くのは、人類という集団が入れ替わり立ち替わり、現れては消え、消えてはまた現れることの繰り返しである。

 人類の歴史は個々の個人の歴史ではない。無数の個々人が代々連綿として受け継がれて来たのが人類の歴史なのである。偉人で繋ぐ歴史は、後々の人達が面白おかしく脚色して歴史と称した物語に過ぎない。

 その人類も永久に続くわけではない。長い宇宙の歴史で見れば、ほんの一時、現れて、やがて消えゆく運命にあるのである。

 数え切れないぐらいの蟻の大群も、いつしか現れて瞬く間に消えていく一瞬を眺めているに過ぎない。いつか生きていて栄えたが、またいつかいなくなってしまった生物もこの世界には多い。かって栄えた恐竜の類も天体の衝突か何かで、ひょっこり絶滅してしまった。

 そんな大きな地球の歴史の流れの中で、地球をボロボロにしてしまった人類もやがてはは絶滅していなくなってしまうことは必定である。

 そこまで広く考えなくとも、自分が生きて来た狭い時間と空間の中だけを考えても、色々なことがあったが、ほんの一瞬とも言える短い時間のことで、この世に生かされてきた人生もやがて確実に終わる。

 どう足掻いてもこの運命を変えることは出来ない。それが人生である。この短時間だけにしても、それがたとえ夢だったとしても、自分なりに色々な経験をし、色々な人に会い、喜んだり、悲しんだり、笑ったり、怒ったりして、人生を楽しませて貰って、そっと消えていくことを感謝すべきであろう。

 はかないのが人生の本質であり、はかない人生には墓はいらないと思っている。