伊達マスク

 コロナの感染者数は減っては来ているものの、まだまだ終わりが見えて来たと言うところまでは行っていない。今後も、まだウイルスの変異は続くであろうから、いつまた、強力なウイルスが出現しないとも限らない。

 しかし、もう流行が始まって2年半も過ぎると、人々はもうコロナに飽きてきたし、仕事や社会経済活動もいつまでも放っておけない。幸い、オミクロンという重症化しにくいウイルスが主体になっている様だし、ワクチンの接種も行き渡って人々の免疫力も上がって来ているので、もうここらでウイルス絶滅より、ウイズコロナで行きましょうという様に社会の動きも変わってきている様である。

 もう既に、アメリカやヨーロッパではこれまでの規制も緩められて、暫時、正常生活に戻って行こうとしている様である。アメリカにいる孫のSNSなどを見ていると、誰一人マスクもなしに大勢で騒いでいる様な場面が多いし、テレビで見るアメリカやヨーロッパでも、スポーツや他のイベントなどでも、マスクなしで集まっている場面が多い様である。

 そういう流れに沿って日本でも、個人のコロナの防護体制も次第に緩められていきつつある様である。街に出ても、まだまだマスクをしている人ばかりだし、店の入り口の消毒用のスプレーや、何処にでも見られるプラスチックの仕切り板などはそのままであるが、観察していると、人々の対応には少しづつ変化が見られる。

 店に入る時の消毒用スプレーの使用も、置いてあっても省略している人が多くなったし、マスクもまだ殆どの人がしているが、公園や広場などでは、マスクをしていない人も次第に見かける様になってきた。

  そうは言っても、いまだに村社会の伝統を受け継いで周囲に同調しやすい日本人である。大勢はまだ家から出れば、ずっとマスクをしておいた方が良いと考える人が多い様である。私は、暑くなってきたし、気持ちの良い野外でまで、マスクをする必要はないだろうと思い、マスクを外しているが、宅の近くの河原の散歩道で行き交う人も殆どの人が、未だにマスクをしたまま、歩いたり走ったりしいている。

 どうもいつの間にか、日常生活の中にマスク着用が定着してしまい、必要かどうかを判断する以前に、既にマスクをして出かけるのが当たり前になってしまった様である。それに、まだマスクがないと感染の恐れのある人混みの多い所を通らなければならないこともあるので、その度にマスクを着脱するのも面倒である。マスクをするならつけっぱなしの方が便利だということにもあるようだ。

 ただ、暑くなってくると、マスクは息苦しくて鬱陶しい。そんなこともあるからであろうか。最近は「鼻出しマスク」や「顎マスク」の人をよく見かける様になった。「鼻出しマスク」はマスクがずれて鼻口が顔を出しているものだが、以前はそれを気にして。始終ずり落ちたマスクを引き上げている人が見られたが、最近は鼻からずり落ちたままを常態としているのではなかろうかという人も多くなった。また、マスクを顎まで下げている「顎マスク」は、先ずはマスクをしていることを示すためでもあるが、必要な時には敏速にマスクが出来る様に保持しているのだということらしい。

 最近はこういった「鼻出しマスク」「顎マスク」の人を多く見かける様になって来た様である。恐らく、こういうのも日本だけに多い現象ではなかろうか。「鼻出しマスク」「顎マスク」はどちらも不恰好で 決して粋な格好ではないが、「伊達」には「見せかけ」という様な意味もあるから、これらを私は勝手に「伊達マスク」と呼んでいる。

   朝日川柳より: 持ってるよ マスク手に見せ散歩道 (埼玉県 阿部 功)