東電福島第一原発の避難者が起こした集団訴訟で、最高裁は6月17日、これまでの高裁の判決を覆して、国の賠償責任を否定する判決を下した。
事故の9年前、国の地震調査研究推進本部は福島沖の日本海溝寄りで津波地震の起きる可能性を指摘しているし、国会でも原発に詳しい共産党の議員が、地震や事故の危険性についても指摘していたにもかかわらず、国も東電も安全を主張したまま進めた結果がこの事故を起こしたのである。
その結果、広範な放射能汚染により、多くの地域住民の生活を根底から破壊する、取り返しのつかない事態を引き起こし、今なお全面的な復興には程遠い。
実際に襲来した津波が予想を上回ったので、国があらかじめ東電に対策を命じていたとしても、事故は防げなかったというが、タービン建屋などの水密化措置などをしていれば、全電源喪失といった事態は防げた可能性が大きいと高裁も判断しているのである。あらかじめ危険性を指摘されていたにもかかわらず、あらゆる事態を想定した安全第一の防災措置を取るのが、原子力事業団や規制当局の責務である。
それが守られなくとも良いというのであれば、従来通りの発想と対策さえしていれば、コストもかからず法的責任も免れることになるであろう。水密化措置は十分可能だったのであり、実行ある対策を取らなかった東電を容認した国の責任を問うた裁判官もいたのである。「想定外」という言葉で免責することは許されないであろう。
最近はエネルギーの安定供給や脱炭素対策として、再び原子力の積極的活用を求める声が大きくなりつつあるが、この安全性の問題以外にも、核のゴミの扱い、事故が起きた時の被害など、原発の利用には今なお根源的な問題を残したままであることを忘れてはならない。
こうした困難な諸課題の解決なしに、原発の復権を唱えるのは、再び原発事故以前の無責任体制に逆戻りすることであり、絶対に容認出来ない。原発はやはり廃棄すべきであろう。