変わる大都会の印象

 戦前、まだ子供の頃に、ニューユークの「エンパイアーステートビルジング」などの摩天楼が並ぶ絵葉書を見て、この同じ地球上にこんな所があるのか、まるで未来の夢の都市のような気がして憧れたものであった。

 まだテレビもパソコンもない時代だったので、絵葉書からだけの印象だったが、当時の日本では、関東大震災の反省もあり都会のビルも40米という高さの制限があり、マンハッタンのように高層ビルが密集している所は日本には何処にもなかった。

 そのような絵葉書からの印象が強かったので、1961年にアメリカで、ニューヨークに向かってニュージャージーの高速道路を走っていて、初めてこの目でマンハッタンの高層ビルの続く遠景を見た時には、思わず「絵葉書と一緒だあ」と感激したことが忘れられない。そして実際に、そのマンハッタンで生活して、毎日のように夢の中にいるような感じがしていたものであった。

 また、その渡米した時は、太平洋を横断して船で行ったのだったが、サンフランシスコの沖合に到着した時に、市街の高層ビル街を眺めて感激していると、一緒に街を眺めていたパーサーが、いつもあの摩天楼街を見ると、日本の墓場を思い浮かべて仕方がないと言っていたことが忘れられない。

 序でながら、そんなこともあり、今も我が家の近くの猪名川辺にある池田の公共墓地をリトル・マンハッタンと、その近くの堰の流れをリトル・ナイアガラと勝手に呼んでいる。

 それは兎も角、最近では日本でも、東京や大阪の中心部は高層ビルの乱立で、小規模マンハッタンのようになったし、中国をはじめ、世界中の都市に高層ビルの林立が見られるようになってきている。ドバイなどの石油成金の都市だけでなく、東南アジアのシンガポールジャカルタ、クアラルンプールなどでも高層ビルが増え、世界中の都市がマンハッタンに似た様相を呈してきているようである。

 こうも擬似マンハッタンが多くなると、いつしか印象も変わってきてしまって、今度はそれが目につきすぎて、その巨大さに圧倒され、自分の矮小さに気づかされ、高層ビル群が資本主義やその商業主義の象徴のように感じられ、まるで札束で頬を打たれるような感じさえしてくる。人は正にその超巨大な構築物の中でせっせと働く蟻なのである。

 その点古い建物の多いヨーロッパの方が優れている。こちらの方が自然と調和していて落ち着けるし、ホッとして親しみを感じるのは、高層ビル群が少なくて、4〜5階建ぐらい迄の落ち着いた建物が並び街路樹などが豊かだからであろうか。巨大な石の建物などがあっても、それを支える空間が広く、立ち並ぶ摩天楼のようにめっぽう高くて上から人を押し潰すような圧力を感じない。

 都会の巨大さは高さだけではない。それより平面的な広がりも問題である。テレビでワイドな東京の鳥瞰図を映し出していたが、そこで見たものは、中心部の高層ビル群を外れたところの、どこまでも続く商店や住宅、小工場などのごちゃ混ぜの町の姿である。まさにどこまでも続いている。 

 ごちゃごちゃしたうさぎ小屋のような細々した建設物が際限もなく何処までも続いており、遠くから見ると、一面乱雑で褐色調を帯び、まるで砂漠の荒野が果てしもなく続いている感じである。 自然の豊かさを誇ってきた地球が、今や人間たちに食い荒らされて滅亡に向かっている幻想にさらされている気さえしてくる。

 SDGsから言っても、人類の活動が自然破壊の限界点に近づいてきているのではないかとさえ思いたくもなる。これでこの先、地球の人口減少が進めば、それこそ地球の表面が巨大な廃墟で覆われるのではないかとも危惧する。

 昔はは大きいことは良いことで、巨大さが人類の成功の証と思われたが、このような現実を見れば、大都会への憧れは裏切られた悪夢であり、今や緑の森や山や川があって、その自然の中に人が住まわせて貰うのがサステナブルな人間の姿なのではなかろうかと思われる。

 自然は無限ではない。横暴な人類は自分たちの必要に応じ、その欲望のままに、自然をどこまでも都合の良いように作り替えられるもののように考えてきたが、人は自然が維持される範囲内でしか生きてられない。それを超えると、必然的にやがては人類の生存自体が拒否されることになるであろう。

 地球の温暖化によりSDGsなどが叫ばれているが、それに応じた新しい資本主義の推進だけでなく、もっと根本的に資源消費の節約、有効利用などで、地球環境の保全の中での人類生存の継続のために、根本的に文明の有り様を考え直す時がき来ているのではなかろうか。