日本は再び沖縄を犠牲にするのか

 先ずは上の沖縄の人口構成のグラフを見て下さい。たまたま新聞で見かけたものですが、一度見てしまうと、もう忘れられない無惨な統計結果に気がつくでしょう。敗戦の年の暮れの沖縄の人口構成の図であるが。男女ともに二十一歳から四十五歳にいたる働き盛りの人口が極端に減っていることがわかるが、殊に、男子の方はもう目を覆いたくなるような惨状である。

 この年代の人々が如何に多く戦争で殺されたかが分かる。もし、もう少し戦争が長びいていて、本土決戦でも戦われていようものなら、日本全体の人口構成もこれに似たようなことになっていたのではなかろうかと思うと背筋が凍る思いがする。

 沖縄の人たちは政府の本土決戦を遅らすためという大義の下で、このような大きな犠牲を払わされたのであった。その上、戦後も長らくアメリカ軍の統治下に置かれ、今なおアメリカ軍の東洋における最大の基地として、戦後80年近くもアメリカ軍の下に置かれているのである。

 さらに戦後日本政府は、国民に米軍基地の存在感を薄めるために、本州に基地まで沖縄に集中させ、沖縄へ更なる負担を強い、沖縄の人たちの一致した反対を押し切ってまで、今なお辺野古の基地建設を進めるようなことさえ止めようとしない。

 沖縄戦の最後に基地司令官が自決前に本土に打った最後の電文内容が今なお忘れられない。「沖縄の人々はよく戦った。後刻、特別のご配慮を」というものであった。しかし、それは全く無視され、天皇は沖縄を米国に渡しても良いと言ったとかの話もあり、沖縄については、政府は米軍に言われるままに、住民の要望には頑として無視を通してきている。

 その上、最近はアメリカに言われるままに、琉球列島全体を基地化して、ミサイル基地などを建設し、敵基地への先制攻撃さえ可能にするよう新たに基地建設を始め、再び沖縄を戦場にして沖縄を再び犠牲にしようとしている。

 沖縄にとっては、もはや日本の一部であることは、またもや生存の危険さえ負わされることになるだけではないか。事情さえ許せば、沖縄はもう日本から独立して、昔の琉球王国に戻った方が良いと考える人が多くなってももおかしくはないであろう。

 沖縄が琉球王国であった頃には、沖縄独自の海外貿易も盛んであったし、日本だけでなく中国とも交流していた歴史がある。沖縄県になって以来、小学校では沖縄の方言を使うのを禁止され、標準語をいちいち強制された歴史も忘れられない。

 沖縄の人々を日本に繋ぎ止めておくためには、もう少しは政府も国民も沖縄のことを考え、沖縄の負担を和らげ、沖縄の人々が平和に暮らせるように、具体的な方策を取るべきであろう。

 日米の安保条約や地位協定の改定に踏み込み、米国の戦略に乗せられず、日米平等な民主的な条約を通じて、沖縄に真剣に向き合うべきではないか。それが日本政府並びに日本の国民の義務であろう。