老人の特権

 老人になると世間の人の優しさがわかる。93歳ともなると、自分ではそこそこは元気なつもりでも、外観はどう見ても年寄りに見えるのであろう。それに杖をついているから、人は皆老人だと思って対応してくれるようである。世間に対しては、いつも文句ばかり言っているものの、日本はやはり人は親切だし、住みやすく、平和で良い国だと思う。

 道ですれ違う知らない人でも、こちらが杖をついてヨタヨタしているからであろうか、昔と違って、皆が道を譲ってくれる。こちらが歩くのが遅いので、狭い歩道などで先に行って貰おうと道を開けると、殆どの人が「ありがとう」と言って抜いていく。

 電車の乗り降りでも気を遣ってくれるし、優先座席でなくとも、席を譲ってくれる。最近の朝日新聞の歌壇に「マスクしてメガネに帽子かぶりても齢隠せず席ゆづらるる」という歌が載っていたが、こちらがピンと体を張って元気そうに見せても、老は隠しようがないようだ。

 先日など、先に優先座席の端の席に座った人の後から、同じ並びの席に少し開けて腰を下ろしたら、その先に乗った人が、「こちらの席を譲りましょうか」と言ってくれたことがあった。こちらがその端の席に座りたそうな顔でもしていたのであろうか。びっくりして、否定して、礼を言って断った。 

 また、つい先日スーパーでビールのパックを一つだけ買ったことがあった。キャッシャーがいつも乍らに混んでいたので、初めてセルフレジを利用してみることにした。機械をどう扱ったら良いのか不案内だし、持っていたカードで支払いが出来るものかどうか不確かだったので、近くにいた店員さんに尋ねたら、たちまち、セルフレジの商品の置き方から、カードをかざす場所から、そのタイミングまで、操作しながら親切に教えてくれた。

 杖をついた老人の一人客だから、どうせ機械に弱いだろうから、さっさとやりながら教えて、仕事を早くスムースに済ませるに限ると思ったのであろうが、本当に親切であった。

 こんな世間の人の対応を見ていると、人間は本来性として、他人に親切なのだが、平素は忙しかったり、文句を言われたり、競争させられたりして、イライラして、余裕が少なくなると、いつでも親切にばかりはしておれないことになるのであろう。ゆとりがあれば、誰しも親切なのである。自分より弱い老人に対しては、張り合う必要もないし、多少の憐れみの心情も加わって、地が出て、自然と親切に振る舞うことになるのであろうか。

 こんなこともあった。箕面の裏道の狭い山道をヨタヨタと登っていた時に、後から中高年の歩き慣れた団体客が登って来るので、先に行って貰おうと思って、道端に腰を下ろして道を開けていると、追い越していく人の中に二、三人が、こちらに向かって「大丈夫ですか?」と声を掛けてきた。恐らく、見るからに老夫婦が道端で休んでいるので、「老人が疲れたか、あるいは何か具合の悪いことでもあって休んでいるのか」と思ったのであろう。「こちらが遅いので先に行って貰おうとしただけだ」と断らねばならなかった。

 山道でなくとも、 この歳になると、散歩や散策で途中で疲れ切って、道端の柵や垣根の端の石組などに腰を下ろして一休みしなければならなくなることもある。若い時なら格好も悪いし、不審な目で見られ兼ねないが、この年になると、道行く人に不審な顔をされることもない。

 このようなことは、どうも九十代になって、杖を持つようになってから、特に感じることが多くなったような気がする。長生きするのも悪くないものである。