移動する人類の歴史の中の一瞬

 以前にも触れたが、我が家では時々家族のZoom Chatを行っている。娘が二人ともアメリカ人と結婚して、アメリカみに住んでいるし、三人の孫たちも成人してアメリカでそれぞれに暮らしいる。

 昔だったら時に手紙のやりとりをするぐらいのことしか出来なかったが、今はそれぞれが離れ離れに住んでいても、Zoom でお互いに顔を合わせれば、まるで一緒にいるかのように話が出来るのは全く素晴らしいことである。

 孫の一人がイギリスに住むようなので、前回のZoom Chatの時もそうだったが、日本とアメリカ西海岸、東海岸、それにイギリスを結ぶ、本当にWorld-wideなZoomによるFamily Chatということになる。

 ところで、昨日Zoomで話している時、ふと思った。私の家族で今日本にいるのは私と女房だけである。二人とも最早、超がつくほどの高齢である。我々がいなくなれば、我が家はもう日本には誰もいないことになる。子や孫達はもう日本出身というだけのことになる。

 振り返ってみれば、私が若い時に女房と一緒にアメリカに二年ほど住んだのが始まりであろうか。まだ戦後の臭いの抜け切らない時で、外貨は300ドルしか持ち出せず、飛行機には乗れないので、船で太平洋を横断して行った時代であった。まだアメリカの東部では、居住する日本人も少なく、中国人やフイリピン人と間違われたような時代で、まさか今のような時代が来るとは想像もつかなかった。再びアメリカへ戻る機会もあるだろうかと思ったぐらいであった。

 それが娘たちの時代になると、こちらが勧めたことなど一度もないのに、それぞれに自ら日本を脱出してアメリカに渡り、そちらで伴侶を見つけて住み着いてしまった。

 上の娘には子供がないが、下の娘には子供が三人。皆、アメリカ生まれのアメリカ人ということになる。今年には一番下の男の子が大学を卒業することになり、それぞれに自分の道を歩み始めている。下の孫娘はイギリスにボーイフレンドを見つけて、イギリスに住むらしい。最早それぞれの生き方を尊重するよりない。

  何十万年かは知らないが、人類がアフリカに発生して以来、気の遠くなるような長い歴史を経て、人類が世界中に広がって行って、各地に文明を築き、それらが離散、集合を繰り返して、今日のような世界の文明社会が出来、さらに、限りなく発展していくであろう大きな歴史の流れの中に我々はいるわけである。

 こうして、私たちの世代ではまだ遠かったアメリカも、娘たちはそこへ移り住んでしまい。さらに、そこで生まれた孫たちはまた何処へ行くか分からない。我々の目からすれば、三代にわたる家族の長い移動の歴史であるが、こういう個々の動きが何万回、何億回と繰り返され、重なり合って人類の歴史が作られて来たのであろうし、今後も続いていくのであろう。

 その大きな流れの中の片隅での束の間を、我々は悲喜こもごもに生きているのだということをしみじみと感じさせられたのであった。