一昔前までは日本では「検便」と言えば、子供でもよく知っていた。ところが今では「検便」と言っても、もう知らない人も多い。検尿や検血からの類推で、便の検査ということは判っても、何のためにするのか、また、何処でどうやって取って、どうやって提出すれば良いのかなど、知らない人が多いのではなかろうか。
長年にわたり米作中心の農業が主体であったこの国では、ずっと人糞を肥料に使っていたので、長い間、人々は寄生虫の蔓延に苦慮して来ており、国としても、それを退治するのが一つの大きな医療の問題であった。水洗便所がまだ無かった昔の日本の家のトイレは、何処も皆、汲み取り式で、定期的に近隣の百姓さんが肥桶を担いでやって来て、長い柄杓で便壺から便を掬い、それを持ち帰って、田畑に撒いて肥料にしていたのであった。
そのため1960年代ぐらいまでは、何処の小学校でも、寄生虫病撲滅の対策として、生徒たちの「検便」が定期的に行われていた。各自が自宅で便をとって、少量をマッチ箱に入れて学校へ持参し、纏めて検査を受ける決まりになっていた。回虫、十二指腸虫、蟯虫などが一番多い寄生虫で、珍しいものでは、サナダムシとも言われた条虫などもいた。「検便」は誰に取っても今よりも遥かに身近なものなのであった。
今では、もうマッチ箱と言っても、どんな箱なのかさえ分からない人も多いであろうが、縦横が五センチと三センチぐらいで、厚さが一センチ足らずの小さな箱で、マッチ棒を40~50本ぐらい入れられるもので、引き出し式に内箱をずらして、外箱から引き出せるようになった箱である。当時は家庭で火を起こすのに、どこの家でもマッチを使っていたので、何処の家にでもあり、誰でも知っている小さな箱であった。何処にでもある小さな箱なので、小さな家などの例えに「マッチ箱のように小さい」などと言われたものであった。
それは兎も角、寄生虫病は社会的にも問題の病気だったので、便を顕微鏡で見て、虫卵があるかどうかを調べたわけだが、膨大な数の試料を調べなければならないので、医学生までがアルバイトとして動員されたりして、大掛かりな検査が行われていた。虫卵が陽性だった場合には、「虫下し」と言われる薬が広く使われていた。
しかし、日本が高度成長期に入り、水洗便所が普及し、農業に糞便に代わって、化学肥料が広く使われるようになって来るとともに、寄生虫はいなくなり、学校での「検便」も行われなくなり、いつしか忘れ去られていった。
ただ、その後は「検便」の対象はもっぱら大人になり、胃がんや大腸ガンなどの早期発見のために、今度は「検便」が定期検診や人間ドックなどで、欠かせない検査の一つとなっていく。「検便」は今度は虫卵ではなく、潜血反応を見るのが主な目的となった。もっとも、痔などによる出血などを除外することなども必要であったが、腸管内の終結のスクリーニングには簡易で便利な方法であった。
それでも、「検便」は初めから終わりまで、血液や尿のように広くは、人体の状態を窺い知るための検査としては利用されては来なかった。血液や尿は採取が容易な上、夾雑物が少なくて検査し易いこともあるに対して、便は採取も、取り扱いも、簡単ではなく、何よりも組成が複雑で、夾雑物が多いので、検査に用いるのが難しいためであろう。
しかし、最近では、腸内の細菌叢の変化がいろいろな病気や健康状態に関係していることがわかり、糞便の移植が治療法として利用されることさえあるようになり、糞便の細菌叢の状態が調べられ、病気や健康状態との関係が注目されて、腸内細菌叢の分析なども詳しく行われるようになってきており、検査対象として糞便が見直されて来つつあることも見逃せない。
血液や尿ほど検査の対象としては注目されない糞便も、今後はもう少し検査や分析が進む日が来るかも知れない。