登るより降るのが怖い

 デスバレイの岩山を子供が一人で途中まで登ったが、それ以上は急峻で登ることが出来ず、そうかと言って、垂直に近い岩を「降ることも出来ず万事窮したところを、お父さんが上からロープ下ろして体に巻きつけるように指示し、無事救出する場面がテレビであったが、お父さんが息子に「山は登るよりも降る方が怖い」のだと教えていた。

 そんな絶壁のようなところでなくても、普通の山でも、登る時より降る時のほうが怖いものである。子供の時に、崖などへよじ登ったのは良いが、降りられなくなって困った経験を持つ人も少なくないであろう。

 それでも、坂道などでは、若い時には、下りの方が楽だと、加速度に任せて坂などを走って降りたこともあったが、歳をとってくると、上りより下りが怖いことがよくわかってくる。上りは疲れても、一歩一歩足を運べば良いが、下りの方が楽なように思えても、そうは行かない。歳をとると足腰の力が弱くなり、運動神経も鈍くなって、動きも鈍くなる上に、バランス感覚まで悪くなるので、転倒したり、滑り落ちる危険さえ伴うので、注意が必要である。

 老人が自宅の階段で二階から落っこちた話も聞くし、4〜50年も前のことになるが、梅田の阪急前の昔の歩道橋で、老人が階段を踏み外して死んだこともあった。また私自身も、雨の日に濡れた地下鉄の駅の階段を降りる時に、途中で滑って、手すりにしがみついたために、体が回転し、側壁の壁に反対側の顔をぶっつけたことがあった。

 若い時には、せっかちな性格もあって、ホームで電車を降りる時も、あらかじめ知った階段の近くのドアから降りて、真っ先に階段を駆け降りないと気が済まなかったのだが、上記の様なこともあって、歳を取ってからは、階段を降りる時には、必ずいつでも手すりが持てるように、手を手すりに沿わせて降りるようにしていた。

 それでも、90歳の時、酔って帰る時に、良い気分で、駅の階段を急いで降りようとしたのであろうか、足を踏み外したのであろう。恐らく慌てて咄嗟に、無意識で手すりを掴んだのだろう。転げ落ちることは避けられたが、この時も側壁の凹凸のある壁面に頭を強くぶつけて出血し、救急車で病院に運ばれることになってしまった。

 これに懲りて、以来下りの階段では、必ず手すりを持ってゆっくり降りるようにしている。そこへ91歳の秋に、今度は脊椎管狭窄症で間欠性跛行になり、1年位でよくはなったものの、以来杖が離せなくなり、歩行速度は落ちるし、以前よりずっと足が疲れやすくなってしまった。

 こうなると階段は上りは良いが、下りが余計に怖くなり、手すりのない階段は怖くて、ゆっくりと、一段一段確かめながらでなければ降りられなくなった。先日は五月山の山の家のすぐ下まで行ったのだが、それから上は長い長い石の階段が続いており、手すりも何もなかったので、そこから先は、上りは良くても、下りが大変だと思い、残念ながら、引き返さざるをえなかった。

 昔は岩山でも、平気でよじ登ったり、降りたりするのを楽しんだものだったが、今では階段を一歩一歩数を数えながら、よっこらしょと言って登り、下りは手すりを持って一段一段確かめながらゆっくり降りるようにしなければならない。

 今では、駅の階段を我先にと飛ぶように降りて行く若者を見ると、「今は良いからせいぜい楽しみ給え。いつかは歳を取って、手すりに頼らなければ降りられない日が来るのだから」と心の中で声を掛けながら見ている。

 やはり安全第一で行かざるを得ない。上りより下りが怖いことを心に銘じながら、ゆっくり降りるようにしている。