旦那になれない番頭

 菅首相が選ばれてから最初に掲げたスローガンが「自助、共助、公助、そして絆、まずは自分でやってみる」と言うのであった。それを見て、この人は首相の器ではないと思った。

これは政府の言う言葉ではない。助けなくては生きていけないのが人生である。その公助をするのが政府の大事な仕事ではないか。

 番頭は丁稚に心得としてこんなことを言って、教育するのもよいかも知れないが、主人たるものは、もっと大きな抱負を語り、包括的な目標を示して、皆が夢を持てるように話すものだ。夢のない所に人はついてこない。「縦割り解消、前例打破」といつものセリフを繰り返すだけが、菅氏のビジョンであり、哲学のようである。

 コロナで仕事を失い路頭に迷っている人に、先ず自助だと言えるか。新聞の社説余滴に「助なしでは生きていけぬ」と言う表題で、漫画の「ワンピース」に海賊ルフィが「俺は助けてもらわねと生きていけね自信がある」と言う名ゼリフがあると紹介されていたが、剣術も航海術も得意でなくても、その仲間たちがいることこそが自分の強みだと言って胸を張る場面が紹介されていた。一人では何も出来ないのが人間だとも言えるのではないか。

 学術会議の6名任命拒否の問題も、本来はもう少し先送りにして新任早々にすべきことではなかったのだが、これまでも番頭としてコソコソ物事を進めてきた習性から、ここまで大きな問題になるとは気が回らなかったのであろうか。

 問題になってからも先の内閣に責任をおっ被せてでもして、早く誤りを認めて訂正でもして、あとゆっくり考えれば良いところを、そのまま押し通そうとしたところに無理があったのであろう。今となっては最早誤りを認める訳にもいかないし、強行突破で強引に駆け抜けるのも困難になってしまって来ている。

 あとは陰険な方法で、ズルズルごまかしながら、嵐が通り過ぎるのをじっと待つしか手がなくなってしまっているのではなかろうか。

 どう見ても、一国の首相の振る舞い方ではない。携帯の値下げとか、IT庁の新設とかで、実務的なことで点数を上げることは出来るにしても、国民に訴えて新しい世界を打ち立てようなどとする宰相としての器量は望むべくもないと断定しても良さそうである。

 今からこの難問で往生しているようでは先が思いやられる。来年の選挙までの短期内閣に終わるのではなかろうか。

この国の先が危ぶまれるばかりである。