夢に出てくるのは死んだ友ばかり

 時々夢を見る。夢といっても若い時と違い、将来の夢のようなものとか、仕事での葛藤とかいうものはもう殆ど見なくなった。見るのは何処かでトイレがなくて探しているとか、帰ろうとしたら、来た時に玄関で脱いだ靴が見つからないので困ったといった、他愛もないような夢が多い。

 その他は、ぼんやりした夢で、目が覚めたらもう忘れてしまっているような夢ばかりである。そんな中に昔の友達なども出てくる。しかし最近では、出てくる友達が、皆もう既に死んでしまっていない友達ばかりである。

 一緒に旅行したり、一緒に飲んだりした友達や、何人かで時々集まったりした仲間なども若いい時には、その時なりに沢山いたが、八十歳を超える頃から次第に減っていき、歳とともに、一人死に、また一人と逝ってしまった。

 若いうちに死んでしまった者もいたが、退職してからもゆっくり付き合えた友人たちも、八十五歳を過ぎると、ぼつぼつ死んでいって残り少なくなっていく。定期的な集まりで「まだ生きていたらまた会おう」などと冗談を交わして別れた仲間も本当にいなくなり、仲間が減って、残った者もアチコチ具合が悪くなり、会合も自然消滅ということになる。

 この頃になると新聞や同窓会報などの死亡広告欄に自然と目がいくようになるが、あいつも死んだ、こいつもいなくなったかと昔の面影を偲びながら、記事を確かめることになる。

 こうして、九十歳を超えると、もう残った僅かの友人までもが消えていくことになる。私の父は九十四歳で死んだが、大学の二年上の友人が一人だけまだいて「小出くんはまだ若いのに」といったのが印象的であったが、寂しい葬式であった。その時思ったのは、「長生きが良いとは限らない。人間には死に時がある。まだ友人たちがいて、『あいつもとうとう死によったか』と言ってくれる間に死んだ方が良いのでは」と思ったものであった。

 親しくしていた友人がもう誰も残っていなくなると本当に寂しくなる。家族ぐるみで付き合っていた友人も、本人が死に、奥さんが後を追い、後、娘さんだけが時に訪ねて来てくれる。子供の時から仲の良かった最後の一人の友人も、始終電話で話し合い、時々会っていたが、いつしかボケて、老人ホームに入れられ、その後連絡が途絶えてしまった。

 現実にいなくなってしまったので、それを補うように夢で、いろいろな友人が出てくるのであろうか。最近、時々かっての友人の夢を見る。つい先日は小学校の時のクラスメートが出てきたが、以前その男が住んでいた家の近くを通って思い出したからであろうか。それに触発されてか、違う夜には、また小学校の時と大学で一緒になった友人で、最後はボケてしまったが、一緒に何かしている夢を見た。

 いずれもぼんやりとしか残っていないが、その他にも、病院で一緒だったことのある「永遠の青年だ」と言っていた男や、痩せた小柄な人で戦前北京に住んでいたゴルフ好きの女医さんも最近夢に出てきた。夢に出てくるのは必ずしも特別に親しかったという関係とはまた別なようで、もっと親しかった死んだ友人がそれだけよく現れるものでもないようである。

 多くの夢は、その時ははっきりしていても、目が覚めた時にはもうぼんやりとした印象だけで、委細は思い出そうとしても思い出せない。ただ皆死んでしまっている人ばかりだということを認識するだけである。夢で会うといういうのはこういうことであろうか。