アラビア砂漠並みの日本の夏

 浜松では、昨日だったか、最高気温が41.1度だったそうである。体温より暑いどころか、体温が41度もあれば、それだけでも超高熱でもう重症である。

 我々の子供の頃には、夏がいくら暑いと言っても、せいぜい31度台ぐらいまでで、30度が一応の目安で、「今日は暑いはずだよ、31度もあるのよ」などと話題に上ったぐらいであった。当時はクーラーなどというものはなかった。冷蔵庫も氷で冷やすものしかなかった。

 「暑い時には何もするな。そのために夏休みというものがあるのだ」と言われ、夏は仕事もほどほどに考えられていた。暑い時には裸になって水を浴びたり、かき氷やアイスキャンデーを食べるぐらいのことで、それでも子供達は皆元気に走り回っていた。扇子がサラリーマンの必需品であったし、年寄りは開け放たれた縁側で、冷たいお茶を飲んで、団扇で扇いで涼んだものであった。木陰の冷風がこの上なく気持ちが良かったものである。

 その頃の子供たちの会話にこんなのがあった。「日本ではこのぐらいの暑さだけれども、アラビアやアフリカへ行ったら、どんなに暑いか知っているか?夏は何時も40度以上だそうだよ。外の温度が体温より高いんだ。日本では僕らは暑けりゃ裸になるけど、そんな暑い所では、どんな格好をするか知ってるか?気温が体温より高いから裸になってもあかんねんぜ。むしろ服を着て、暑い外気から体を遮断して守るようにしなけりゃいけないんだぞ」などと言い合ったものであった。

 アラビアのローレンスの話などが流行っていたので、そんな話の載った本の挿絵からの勝手な想像だけで、全くいい加減な作り話であった。誰もアラビアなどに行ったことはないし、詳しい話を聞いたこともないが、特別に熱い砂漠の国で、長い衣装を着て、ラクダに乗っている挿絵の印象から出来た話だったのであろうが、何となく「そんなものかなあ」とも合点したものであった。

 まさか、そんな暑さが日本にやってくるなどとは思いもよらなかったが、最近の毎日の暑さを見ていると、アラビアが日本にやって来たとしか言えないような熱い日が連日続いている。幸い、今の日本では、クーラーも使えるので、砂漠のアラビアとは違い、何とかこの暑さにも耐えられそうだが、正に、ただもう何とか超えられるだろうと言ったところである。

 それに今年はコロナの流行が重なる。マスクをしてこの暑さでは、たまったものではない。老人は家にすっこんでおれば良いかも知れないが、仕事で外へ行かねばならない人は、クーラーの効いている所は全て、職場や、電車の中、人混みの多い建物の中などという所である。三密を避けましょうと言われても、嫌でもそういう所に頼らねば生きて行けない。

 老人もただ家にすっこんでおれば良いというわけにはいかない。テレビでは、「コロナと熱中症両方に気をつけて下さい、屋内でもためらわずに冷房を使い、こまめに水を飲んで下さい」といい、「今日は何人が熱中症で搬送されたとか、何人が死んだ」と脅かす。

 そう言われても、最近の新しい分譲住宅などは、従来の南方系の開けっ放しの伝統的な建物と違い、窓は少なくて小さい冬型住宅が、しかも密集しているので、外からの風が入らない。涼むにはクーラーに頼るよりないが、一日中ためらわずにクーラーをつけっぱなしにしていては家計に響く。

 昨年の夏までは、貧乏人はショッピングセンターやスーパー、あるいは市役所や図書館などの冷房の効いた所へ行って、椅子に座って時間を潰せたが、今年はコロナのために、そんな風にゆっくり涼める所も減らされ、人混みは避けろと言われているので、時間と暇のある貧しい老人たちは行き場を失って困っている。

 昔は冬が寒いので、冬に死ぬ老人が多かったが、この例年の酷暑では、周りを見ても、熱中症で死なないまでも、長い夏の暑さにやられて憔悴する老人が多いように感じる。地球の温暖化の影響かどうか知らないが、これからは老人にとっては、冬よりもむしろ長くなった夏の方が過酷な季節になるような気がする。どうなっていくことやら先が思いやられる。