閉じ込められたウサギ小屋

 従来から都会の日本の家は狭くて「うさぎ小屋」だと揶揄されてきたが、最近の新築の家を見ると、益々その感が強くなる。不動産屋さんの話によると、地価が高くなったせいもあるが、最近の若い人の考え方では、夜帰って寝るだけだから、庭は手入れが面倒だから要らない。30〜50坪の土地でも、建物が建てられさえすれば、それで良いと考える人が多いのだそうである。

 それなら、いっそマンションの方が良いということになりそうだが、マンションだと、建物の維持管理についてだけも、同じマンションの住民との付き合いもあって煩わしい。やはり、狭くても、自分の土地に自分の家というのが要らぬトラブルを考えなくても良いし、自分の好きなように暮らせるので、やはり持ち家に越したことはないと考える人が多いらしい。そのためか、東京や大阪などの鳥瞰図的な、広角度の写真などを見ると、マンションが散在する間の空間はすっかり細々とした住宅に覆われ、殆ど緑のない、雑然とした白っぽい灰色一色に覆われて、それが際限なく続いている感じである。

 以前であれば、どんなに住宅が建て込んでいる地域でも、もっと緑が散らばって見えたものだが、今は100坪ぐらいの単位の宅地さえ、二分割されて、そこに敷地一杯の家が二軒建てられることとなり、新たな住宅地では、最早、緑が顔を覗かせる隙間もなくなって来ているようである。それどころか30坪ぐらいの土地に3階建ての家が隙間なく続いているような地域も多くなった。

 しかも、最近の家の建物は益々閉鎖的になってきている。狭い土地一杯に建物が作られるので、隣の建物との距離が近過ぎるので、あまり大きな開口部を作ることが出来ない。昔はどこの家にもあって日本の家の特徴とされて来た縁側などは、最近の家では考えられない。敷地にゆとりがなければ、隣の家や道行く人から家の中が丸見えになってしまう。

 縁側どころか、昔からどの家にもあった、両開きの窓ガラスの普通の窓さえ、最近の建物では姿を消しつつある。それに替わって、最近の新築の家では、殆どの窓が人も通り切れないような、狭いスリット型の窓ばかりが多くなっているようである。密集したウサギ小屋は狭いばかりではなく、外から見れば、窒息しそうな閉鎖的な構造になっている。

 もともと日本の家は南方式で柱で支えられた、壁の少ない開放的な建て方で、隙間も多く、夏に適していて、冬は寒い建物であったが、最近の建物は殆どが2x4の伝統を受け継ぐ、壁で支える建物で、夏よりも冬に適した建て方になってきている。

 極暑の国に冬型かと疑問にも思われるが、今ではクーラーなどが完備しているので、開口部を広くして外気を取り入れなくとも、空調で室内温度は管理出来る。最早、夏も自然の風より、人工的な空調で室内環境を整えられるので、むしろ窓などの開口部は狭い方が良いことにもなるのであろうか。

 かくて、住居は外部からの視線を防ぎ、室内環境を整えた閉鎖的な構造の方が良いことになる。昼間が不在で、夜だけの生活が主だということのなると、留守宅の安全確保の上でも、更に閉鎖的な家の方が好ましいことになる。建物の如何によらず、今ではもう昔のような向こう三軒両隣といった人間関係もない。「隣は何をする人ぞ」の人達が住んでいるのであれば、益々自宅は閉鎖的な方が好まれることになるのであろう。

 最近建てられた家を見ると、決まって狭いスリットのような窓しかあいていない、人を拒絶するような、取り付く島もない冷たい外観の建物ばかりである。そんな家がずっと続いている。以前の長屋の風情ではなく、小さな家が密集しているのに、何か冷たくよそよそしい感じの街になってしまっている。

 何も変化のない平和な世の中が続いていれば、それでも良いかも知れない。しかし、何か異変があれば、頼れるのはやはり隣近所ではなかろうか。それに自宅から火事が起こっても、あの人が通れないような細い窓だけでは、そこから逃げることも出来ないのではなかろうか。

 他人事ながら、「人は一人では生きて行けない」「遠くの親戚より隣の住民など」とも言われる。いつまでも平穏な日が続くとは限らない。個人主義のために、建物が閉鎖的なのは良いが、事実は知らないが、せめて向こう三軒両隣ぐらいは、お互いに助け合えるぐらいの人間関係は作っておきたいものである。